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85.お正信偈を読む(12):依経段(8)

20150119三峰山

 前回に続いて「お正信偈を読む」です。今回は次の2句です。

 「御文」 成等覚証大涅槃 必至滅土願成就 (じょうとうがくしょうだいねはん ひっしめつどがんじょうじゅ)
 
「訓読」 等覚(とうがく)を成(な)り大涅槃(だいねはん)を証することは、必至滅度(ひっしめつど)の願成就なり。
 「訳文」 正定聚の位につき、浄土に往生してさとりを開くことができるのは、必至滅度の願が成就されたことによる。

 前回の2句で、親鸞聖人は、私たちがどのようにして救われるのかをお示しいただきましたが、今回の2句では救われた私たちがどのようになるのかということをお示しいただいています。

 ここには「等覚」と「涅槃」という言葉がでてきます。

 この「等覚」は「等正覚」ともよばれるもので、菩薩の修業が完成の域に達した状態を表していると伺いました。
 菩薩の修業には52段階というたくさんの段階があるとされていますが、この等覚というのはその51段階のことで、ほとんど仏のさとりと等しいという意味です。
 

 ついで「涅槃」の方ですが、これはサンスクリット語の「ニルバーナ」を音写したもので、「滅度」と漢訳される言葉です。すべての煩悩を滅した状態を表します。

 「必至滅度の願」は前に見ました真実五願のうちの第十一願で、次のような内容でした。
  わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り、必ずさとりを得ることがないようならわたしは決してさとりを開きません。

 この2句で聖人は、私たちは阿弥陀仏の一人残さず救うという本願に願われて救われ、ほとんど仏と等しいさとりを得ることができ、あらゆる煩悩を滅して涅槃に至ることができるのだと、お示しいただいています。

 訳文に「正定聚」という言葉が出てきますが、これも「等覚」と同じ意味だとお聞きしました。また、再びもとに戻らないという意味で「不退転」とも呼ばれています。

 親鸞聖人は、私たちは他力の信心を得たならば、ただちにこの世で「正定聚」に住し、命が終わるときに浄土に往生してただちに滅度をさとる、と示されました。
 これを私たちは「現生正定聚」とお呼びしています。この「現生正定聚」のみ教えは浄土真宗の大事なみ教えの一つだと思います。
 といいますのは、同じ仏教でも他の宗派では、衆生は浄土に往生して正定聚に住し、それから滅度をさとると解釈されていることもあるからです。

(写真は、前回に続いて三峰山で出会った霧氷です)
 晴天の太陽に輝いた霧氷です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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