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83.浄土真宗のことば(2):真実五願


20150112六甲霧氷

 浄土真宗に「真実五願」という言葉がありますが、今回はもう一度「お正信偈」の御文を離れてこの「真実五願」について見てみたいと思います。

 『浄土真宗辞典』には「真実五願」について次のように説明があります。
  「四十八願のなか、第十七・十八・十一・十二・十三の五願のこと。親鸞は『教行信証』の「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」において、これらの五願にもとづいた真実の教・行・信・証と真仏土を明らかにしている。」

 前回の記事で、第十八願が阿弥陀仏の本願です、と申しましたが、親鸞聖人はこの本願(第十八願)に誓われている「行」(十念の念仏)、「信」(至心・信楽・欲生の三心)、「証」(衆生の往生)、「真仏土」(阿弥陀仏の成仏)をそれぞれ第十七願、第十八願、第十一願、第十二・十三願に対応させられました。この5つの願を「真実五願」とお呼びしています。
 聖人は、本願の第十八願を展開して他の4つの願も含めた五願に対応させられたということになります。

 この五願のうちすでに見ました第十八願以外の願を見てみますと、次のようになります。

 第十七願(諸仏称名の願)たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称ぜずは、正覚を取らじ。
 「わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」

 
 第十一願(必至滅度の願)たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。
 「わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り、必ずさとりを得ることがないようならわたしは決してさとりを開きません。」

 第十二願(光明無量の願)たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
 「わたしが仏になるとき、光明に限りがあって、数限りない仏がたの国々を照らさないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」

 第十三願(寿命無量の願)たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。
 「わたしが仏になるとき、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。」

 個別の願については別に見ていきたいと思いますが、第十八願、それを開いていえば真実五願によって成就された阿弥陀仏のご本願の力が、私たちを残すところもなく救わずにはおれないと、私たちに向けられているということになります。

(写真は、2008年1月の六甲山の風景です)
 この季節の写真を探したのですが、寒そうな景色で申し訳ありません。でも、この霧氷はみごとでした。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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