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82.浄土真宗のことば:本願

 
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 今年最初の「お正信偈を読む」は一旦お経文から離れて、「本願」について学びたいと思います。

 本願という言葉は、私たちの浄土真宗ではよくお聞きする言葉です。本山も「本願寺」とされていることからもこの言葉がとても大切な言葉だということがわかります。

 『浄土真宗辞典』という辞典でこの「本願」を見てみますと次のように記されています。(  )の部分は私の添え書きです。

 「仏が因位の菩薩であったときにおこした因本の願の意。この願には、それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなっているので誓願といわれる」(因本の願)
 「また、衆生救済のための根本となる願の意で、阿弥陀仏の四十八願中、特に第十八願を指していう」(根本の願)

 この「因本の願」には「総願」と「別願」の2種類があると教わりました。
 総願はたくさんの菩薩方が共通してたてられた願であり、別願はそれぞれの菩薩に固有の願とされています。到達する目標は共通でも、そこに至る道筋がそれぞれの菩薩によって違うのだと教えていただきました。
 阿弥陀仏が法蔵菩薩のときにたてられた願が四十八願で、これが阿弥陀仏の別願ということになります。

 また、「根本の願」は阿弥陀仏のたてられた48の願のうち、第十八願をもっとも大切な根本をなす願とするものです。
 『無量寿経』にこの第十八願は次のように記されています。
 「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法」

 これを読み下しますと、次のようになります。
 「たとひわれ仏(ぶつ)を得たらんに、十方の衆生、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至(ないし)十念(じゅうねん)せん。もし生ぜずは、正覚(しょうがく)を取らじ。ただ五逆(ごぎゃく)と誹謗(ひほう)正法(しょうぼう)とをば除く」

 その内容は次の通りです。
 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます。」

 この第十八願は「至心信楽の願」と呼ばれていて、法蔵菩薩が「あらゆる衆生が、信心と念仏とによって浄土に生まれることができなかったならば、私はさとりを開かない」と誓われた願であり、あらゆる人々を一人残らず救わずにおれないと誓われた阿弥陀仏の根本の願ということで、「本願」とお呼びしているのです。

 ここで、第十八願の最後の部分「唯除五逆、誹謗正法」について触れておきたいと思います。
 これをそのまま読むと、「五逆(父や母を殺すなどの5つの重い罪)や誹謗正法の罪を犯した者は、阿弥陀仏の救いの対象から外れて救われることはない」と読まれそうです。
 これについて親鸞聖人は『尊号真像銘文』というご文の中で、「「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」と述べておられます。
 聖人は、ここではこれらの罪の重さを示してその罪を犯すことのないようにと示されたと受け止められておられます。また、すでにこれらの重い罪を犯した者に対してもなおあわれに思われて、そのような者も救おうとされているのが阿弥陀仏のお救いなのだと示されました。

(写真は、2008年8月10日の伊吹山山頂の夜明けです)
 伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にあり、豊富な高山植物があり夏には夜間登山もできる山として人気のある山です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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