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74.聞き書き「上宇内地区報恩講」


20141212阿弥陀堂1
   20141212阿弥陀堂2
 先日、上宇内地区の集会所(前回「集会場」と書きましたが、正しくは「集会所」です)で勤められた報恩講についてご報告しましたが、その前後でお聞きしたことや資料で分かったことをご紹介します。

 前回の記事でもご紹介しましたように、元々この集会所の少し上に阿弥陀堂という阿弥陀如来像を安置したお堂があったのだそうです。

 去る12月10日に、この阿弥陀堂の跡地を見たいと思って現地に出かけてきました。
 その前に地元の壽福寺のご門徒さんの志賀勇一さんと志賀英治さんにお願いして関連する資料をお借りしていましたので、それをお返しするのも目的だったのです。
 資料をお返しした後に阿弥陀堂の跡地を見るつもりだとお話していましたら、勇一さんの奥さんと英治さんが待っておられて集会所と阿弥陀堂の跡地を案内していただきました。

 阿弥陀堂の跡地は、現集会所の横手の坂を上った所にありました。11月23日(その報恩講の次の日です)に地域の方が出られて草刈りをされたということで、当日の跡地は草刈りも終わってすっきりした一区画になっていました。地面を見ると刈り取られた笹の茎の跡がたくさん見えましたから、草刈りをされる前は相当な笹の藪だったことが想像されます。

 うしろに雑木林(この雑木林も以前はそんなに樹高がなかったようですが)を持ったこの土地の一角に茅葺きの阿弥陀堂があったということです。お堂は10メートル四方もあったのでしょうか、2部屋を備えたていたということですが、礎石は見当りませんでした。
 お話によれば、地域の様々な行事がこのお堂の前で行われたそうです。葬式や盆踊り、戦中は出征する兵士を送り出す場所でもあったようです。また戦後は若者がバレーボールをやった場所でもあったと懐かしそうに話しておられました。

 その阿弥陀堂に安置してあった阿弥陀如来のお像は、昭和32年現在の集会所を新築した際にこちらにお移ししたのだそうです。 
 現在の集会所は、前回の記事の写真にもありますように控えの間も備えた堂々とした建物です。炊事をする設備もあり、やはり地域の行事の会場に利用されてきたことが窺えます。

 阿弥陀如来のお像がこちらの集会所に移ってからも、地域の方はこの阿弥陀如来像を大切にお守りしてこられました。

 前回にも書きましたが、16軒のご門徒さんは毎日順番に阿弥陀さまにご仏飯とお花を供えられています。かつて多いときには40軒を数えた住民の方も現在では16軒までに減少していますので、そのご負担は増えていますが、それでも毎日のご奉仕を続けていただいています。本当にありがたいことだと改めて思いました。

(写真は、集会所の阿弥陀如来のお像とかつての阿弥陀堂の跡地です)
 立派な荘厳を備えたお仏壇です。うしろの金箔を使った壁紙は地元の2人の方が還暦のお礼に補修されたのだそうです。
 右の阿弥陀堂跡地は、かつてお堂があったことを偲ぶよすがもありませんでした。刈り取られた草が積まれていました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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