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746.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(33):無碍の一道(6)

20210521薬師堂  20210521薬師堂2

  今回は、親鸞聖人が『唯信鈔文意』に取り上げられた2番目の偈頌の第5句を学びます。

 偈頌の全体です。今回は、太字の部分です。

 彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
 但使回心多念仏 能令瓦礫変成金

 不簡多聞持浄戒 (多聞と浄戒をたもてるをえらばず)

 聖人が記された御文と現代語訳です。

 「不簡多聞持浄戒」といふは、「多聞(たもん)」は聖教(しょうぎょう)をひろくおほくきき、信ずるなり。「持(じ)」はたもつといふ、たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。「浄戒(じょうかい)」は大小乗のもろもろの戒行、五戒・八戒・十善戒、小乗の具足衆戒(ぐそくしゅかい)、三千の威儀(いぎ)、六万の斎行(さいぎょう)、『梵網(ぼんもう)』の五十八戒、大乗一心金剛法戒(いっしんこんごうほうかい)、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、大乗の具足戒(ぐそくかい)等、すべて道俗の戒品(かいほん)、これらをたもつを「持」といふ。かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土(ほうど)には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善(かいぜん)、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土(じっぽうど)には生れずとなり。 

(「不簡多聞持浄戒」というのは、「多聞」とは、聖教を広く多く聞き、信じることである。「持」は、「たもつ」ということである。「たもつ」というのは、習い学ぶ心を失わず、散漫にならないことである。「浄戒」とは、大乗・小乗のさまざまな戒律のことであり、五戒、八戒、十善戒、小乗の具足戒、三千の威儀、六万の斎行、『梵網経』に説かれる五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒など、出家のものや在家のものが守るすべての戒律をいう。そしてこれたをたもつことを「持」というのである。このようなさまざまな戒律をたもっている立派な人々であっても、本願他力の真実の信心を得て、はじめて真実の浄土に往生を遂げることができるのである。自らの力によってそれぞれが戒律を守ることで得る善根、それぞれの自力の信心や自力の善根では、真実の浄土には生まれることができないというのである。)

 親鸞聖人は、今回の句を受けて、多聞の人、持戒の人が救われる姿を説かれます。聖人は、そのように聖教をたくさん聞き、信じる人、戒律を保つ人、一般に「立派な」人といわれる人は、そのことでお浄土に往生できるのではない、とされます。その人も、「他力真実の信心をえてのちに(本願他力の真実の信心を得て、はじめて)」真実のお浄土に往生を遂げることができるのだと記されます。
 そして、「みづからの、おのおのの戒善(かいぜん)、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土(じっぽうど)には生れずとなり(自らの力によってそれぞれが戒律を守ることで得る善根、それぞれの自力の信心や自力の善根では、真実の浄土には生まれることができないというのである)とされます。

 どのような者であっても、お念仏一つでお浄土に往生できると説かれた法然聖人のみ教えは、聖覚法印を通して親鸞聖人に伝えられました。
 聖覚法印は今回の段で、名号は「阿弥陀」の三文字であるから「在家出家、若男若女、老少、善悪の人をもわかず」いつでもだれでも称えることができ、誰一人残すことなく救われるとされました。親鸞聖人は、これを受けて、私たちが救われるのは、自力の信心や自力の善根ではなく、信心をいただき阿弥陀さまのお救いにお任せする、他力の道以外にはない、のだと説かれました。

 今回の段をお読みして、聖人が「浄戒」として多くの行について記されていることに驚きました。
 梅原真隆師は『唯信鈔文意講義』で、この様々な戒行の内容について記されているのですが、それはその本の4ページにも亙るものになっています。

 例えば、最初の五戒は「不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒」であり、八戒はこれに「不坐高広大床戒、不著花鬘瓔珞戒、不習歌舞戯楽戒」の3つ(普賢師によります。他のものを入れる場合もあるようです)を加えたもので、五戒の方は在家の信者が日常的に守るべき戒、八戒の方は日を限って出家者と同様に受持する戒だとされています。
 五戒の内容は字を追ってみると理解できるように思いますが、あとの3つの戒は「高くゆったりした寝台に寝ない」「装身化粧をしない」「歌舞を視聴したり習ったりしない」という内容なのだそうです。この8つの戒だけでも、これは大変だなあ・・と思いますが、まだまだ続くのです。

 小乗の具足戒というのがありますが、これは比丘(男性出家者)の250戒、比丘尼(女性出家者)の350戒を指します。この比丘の250戒を行・住・座・臥に配列すると1,000戒、さらにこれを過去・未来・現在の三世に繰り返すとき3,000(三千の威儀)になるのだと、梅原真隆師が記しておられます。

 聖人は、このように驚くような多数の戒を記され、伝統的な仏教で大事にされて来たこれらの戒を保つことができる稀有な(立派な)人でも、そのことでは往生を遂げることはできないのだと示されました。
 私などは、最初の五戒のところでこりゃいけません、となりそうですが、そのような私でも、阿弥陀さまのお力で救っていただける、と聖人はお示しいただいたのです。
 
(写真は、前回ご紹介しました薬師堂の仏像(左)と仏像を安置してある場所の格子戸(右)です)

 仏像は傷みが見えますが、右が阿弥陀さま、左が薬師如来です。右の写真の格子戸の間から写したものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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