FC2ブログ

69.上宇内地区の報恩講をお勤めしました


20141124宇内2
  20141124宇内1

 11月22日、宇部市上宇内地区の集会場で報恩講とお紐解きのお勤めを行いました。

 この行事は上宇内地区の16軒の浄土真宗のご門徒さんが共同でお勤めされるもので、戦前から引き継いでこられたものだそうです。
 この行事の特徴は、この16軒のご門徒さんが壽福寺のほかこの地区の正恩寺さん、法栄寺さんの3カ寺のご門徒さんだということです。このご門徒さんが持ち回りで当屋(とうや:当番)となって、毎年春(降誕会、永代経法要)と秋にお勤めをされています。

 当日は、一同で『正信偈』と『讃仏偈』を拝読した後に、ご法話をお取り次ぎしました。
 このお勤めと法話も上記の3カ寺の住職が持ち回りで担当してきたのだということで、今回は壽福寺の担当だったのです。

 お聞きしますと、もともと阿弥陀堂という阿弥陀如来を安置したお堂が近くにあったのですが、その阿弥陀如来像をお移ししてこの集会場とされたのだということでした。従って、集会場の中に立派なお仏壇があり、軒先には半鐘も備えられていました。
 16軒のご門徒さんは毎朝順番でご仏飯とお花をお供えされていて、この地区の多くの年中行事もこの集会場を会場に行われているということですから、地域の結合の場となっているのだと思います。
 かつて各地にあった浄土真宗の聞法の場の名残と言えるかもしれません。

 翌日の23日は、その昔の阿弥陀堂の周辺の草刈りを一同で行う予定だということでした。

 この上宇内地区には豊後竹田の岡城(滝廉太郎の「荒城の月」で知られています)の城主だった志賀親次(ちかよし)公(1660年95歳で美祢郡岩永村にて寂)のお墓があり、志賀姓の方が多くおられる地域で、古くから強い絆で結ばれてきた地区だったのです。
 しかしこの地区でも過疎化が進んでいて、外に出られたご門徒さんもたくさんおられます。
 現在残られた方々で地域のつながりを維持することの難しさもお聞きしましたが、このような貴重な行事が長く続いてもらいたいものだと、改めて思いました。

 この上宇内地区と壽福寺とは距離にして約14キロメートルも離れた地にあります。古くからのご門徒さんがおられるのですが、どのような経緯でそのような離れた地域にご縁ができたのかよくわからずにいます。
 昔は寺の法座にお参りいただくのに、この道のりを歩いて来られたのだそうです。
 朝早く暗いうちに家を出て、帰りの時間を考えるとほんの短時間しか寺にいることができなかったそうですが、それでもお説教を聞きたいと遠い山道を歩かれたのだというお話を伺い、本当にありがたいことだと、このご縁、つながりを大切にしなければならないという思いを新たにしました。

(写真は当日の様子と、集会場の風景です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR