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710.歴史を訪ねる(25):講演会「プレイバック宇部100年」

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  1月16日、「プレイバック宇部100年」という講演会が開催され、聴講することができました。
 この講演会は、宇部市制100年を記念する行事の一環として、宇部地方史研究会および宇部市教育委員会が主催、宇部市文化創造財団と宇部日報社の後援により開催されたものです。全体で5回連続の講演会となっていて、今回はその第1回目となるものでした。

 当日、会場の宇部市文化会館に約80名の方が集まっておられました。
 講演者は宇部地方史研究会の会長で宇部フロンティア大学の特命教授でもある内田鉄平氏でした。以前にもご紹介しましたように、内田氏は古文書読み解き会でご指導いただいている方でもあります。
 演題は「宇部市誕生の前夜」で、宇部市が誕生した背景についてお聞きすることができました。

 宇部市は大正10(1921)年11月1日に成立したのですが、それ以前は宇部村という「村」でした。このように「村」から「町」を飛び越していきなり「市」に昇格するというのは珍しい(戦前には4件のみ。宇部市は佐世保市に次いで2例目)事例だったようです。そのような展開が可能になったのは、宇部地区の炭坑が急速に発展したことによります。
 以前、このブログで内田氏の著『石炭都市宇部市の起源』をご紹介しましたが、この炭坑の発展が社会的にどのような影響を与え、それが宇部市の誕生につながったのかという観点からお話を聞くことができました。

 上記の著書にも記されていますが、石炭採掘は最初は船木村や有帆村で盛んだったということです。それは、この地域の炭層が地表近くにあり採掘しやすかったことによるのだそうですが、地下の炭層を採掘するのに必要な排水技術が進歩することにより宇部地区の深い炭層や海底の炭層も採掘が可能となり、宇部地区に中心が移っていったのだそうです。

 そのような背景により、明治20年代に宇部村の炭坑が一気に増加します。そして明治30(1897)年に、渡辺祐策氏の尽力により沖ノ山炭坑が開山します。沖ノ山炭坑は採掘量を伸ばしていき、他の炭坑とともに宇部地区に活気をもたらしたのだということです。
 多くの炭坑が立地することになった新川地区はもともとほとんど人家のない地域だったそうですが、炭坑の発展とともに炭坑で働く人々が増え、人口が急増していきます。この地区を含めた宇部村の人口はもともとは6,000人程度から明治40年頃には10,000人を大きく超えるまでに増え、さらに増加していきました。

 炭坑業の発展に伴い、その周辺の電気事業、軽便鉄道、銀行、鉄工、レンガ製造、製材、精錬、紡織などの事業が始まり、あるいは発展し、この時期に宇部は石炭産業を核として工業都市の基礎を築いたことになります。

 そのような中、大正7(1918)年8月に米騒動が発生します。
 第一次世界大戦後に日本は好景気の時期を迎えるのですが、米などの物価が高騰し、富山で発生した騒動が全国に広がり、宇部地区にも影響を及ぼすことになります。宇部での騒動はそれまでの炭坑従業者が抱えていた不満がベースにあるもので、実態は労働争議で、軍隊まで出動し死者が生じる事態となりました。
 このように、当時の宇部は急速に膨らんだ居住者、インフラの整備が追い付かない環境、労働条件に対する不満などが渦巻く不安定な社会でした。

 この騒動を通じて、宇部村を主導していた人々は、治安の維持、インフラの整備、社会教育の拡充、娯楽の提供などの対策を進めていくのですが、その中で、市制の施行が必要だとする市制推進論が浮上してきました。新川地区への「一極集中」に反発する農村部からの反対もあったのだそうですが、宇部村として市制に移行することを決し、大正10(1921)年11月1日に市制が施行されることになりました。

 その過程の面白いエピソードが紹介されていました。
 当時は、市制を施行するためには年間を通じて40,000人の人口が必要だったのだそうです。ところが、大正9年10月に実施された第1回の国勢調査の結果では、予想に反して人口は38,000人強でした。それで宇部村では再度調査を実施し、その結果は40,000人を超えるということが確認され、それにより市制への移行を果たしたのだそうです。

 今回の講演で、これまで宇部村の宇部市への移行は、人口が増加したことから「可能になった」程度の理解しかしていなかったことに気づきました。市制施行に先立つ、社会環境の変化、米騒動などの激動があり、さらにその根底に宇部地区の炭坑の発展があったという構造について理解できたように思います。

(図は、連続講演会のパンフレットです)

 第2回目以降のテーマは、次の通りです。いずれも興味深いテーマで、楽しみにしています。

 「ひろばと街と彫刻と」、「新聞が伝えた宇部市制ー宇部時報の記事から」、
 「宇部炭田の歴史と日本初の石炭記念館」、「宇部市の歴史からふりかえる市制100年」

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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