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701.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(17):名号の讃嘆(9)

20201218雪の竹林s 

 今回から、親鸞聖人が『唯信鈔文意』の中で示された最初の偈頌4句のうちの第4句について学びます。
 もう一度、4つの句を記します。(ゴチックで示した句が第4句です)

  如来尊号甚分明 十方世界普流行
  但有称名皆得往 観音勢至自来迎

 第四句について聖人が『唯信鈔文意』で記された御文の最初の部分と、その現代語訳を記します。

「観音勢至自来迎」といふは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光仏の御なを信受して憶念すれば観音・勢至はかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。

(「観音勢至自来迎(かんのんせいしじらいこう)」というのは、南無阿弥陀仏は如来の智慧のはたらきとしての名号であるから、この不可思議光仏の名号を疑いなく信じ心にたもつとき、観音菩薩と勢至菩薩は、必ず影がその姿に付き添うように離れないでいてくださるのである。)

 本日の段は、第4句の「総釈」(その心をまとめて説かれた)の段だとされています。
 聖人は、「自来迎」とは、観音菩薩と勢至菩薩が、信心の人に、つねにときところをえらばず、影が形にそって離れないように、いていただくことだと説かれます。

 聖人は、「南無阿弥陀仏」は智慧の名号と記されます。阿弥陀さまの智慧は私たちにははかり知ることのできないもので、それが光となって照らしていただく光明も私たちには知覚できないものですが、私たちに名号として届いていただいている南無阿弥陀仏(の名号)を疑いなく信じ、心に保つときに、観音菩薩と勢至菩薩は私たちに付き添うように、離れずにいてくださるのだと、お示しいただきました。
 この観音菩薩と勢至菩薩について、聖人はこの段の後の部分で、阿弥陀さまが形を変えて現れていただいた姿なのだと、示されます。聖人は、このように名号のおはたらきを讃嘆されます。

 『唯信鈔文意講義』で、梅原眞隆師は、注意しておかなければならない点として、親鸞聖人が、「観音勢至の来迎をば臨終来迎のことと解せず、常随影護の義あるとなされ」た点を挙げておられます。
 親鸞聖人の時代には、信心を持った者は臨終に際して諸仏が来迎し浄土に往生を遂げるのだとされ、その来迎を待つために様々な行がなされたと伝えられています。その来迎を描いた図に紐をつけてそれを手にして臨終を迎えるというようなことが行われていたとお聞きします。
 しかし、親鸞聖人は、この段でも述べられていますように、私たちが南無阿弥陀仏の名号を疑いなく信じ心にたもつとき、阿弥陀さまは必ず私たちに付き添うようにいてくださる、とされました。信心をいただいた私たちは、臨終のときを待つことなく、命ある今、往生は確かなものとなるとされました。

 ここで、昨年の報恩講でのご法話のことを思い出しました。
 ご講師は、「自力の救いは入学試験の結果を待っているようなもの」とたとえられました。自力で積み重ねたその結果は、試験の結果を待っているように私の命が終わる時にならないと分からないものですが、南無阿弥陀仏の名号をいただいた私たちは、いまこの時に救いをいただいているのだというお話しでした。この入学試験のたとえは、印象に残るものでした。

(写真は、今年の初雪の風景です)

 寺から大岩郷に向かう道は、竹林の中を通ります。この程度の雪ですと、「きれいだなあ・・」と眺めることができますが、もう少し降り積もると雪の重みで竹が道に倒れ掛かり、車で通り抜けることができなくなります。
 今年の雪はどの程度になるのでしょうか。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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