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696.山口別院の報恩講にお参りしました

20201130別院報恩講s 

  11月28日、山口別院でお勤めになりました報恩講にお参りしました。
 今年の報恩講は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、次のように例年とは違った形となりました。
 ・例年は日中(午前)・逮夜(午後)の2座のお勤めが、今年は午後のみになり、これに伴い、お斎(昼食)接待も中止となりました。
 ・参拝者の数も、3密を避けるために170人程度(例年は約500名)に抑えることとなり、各組あたり15名の参拝数となりました。
 ・その他、勤行(お勤め)へ各組からの出勤や、受付などの担当も中止になりました。

 今回のご講師は北豊教区行橋の正山寺の生土昌行師で、親鸞聖人のご生涯についてお取次ぎをいただきました。当日は、3日にわたる報恩講の最後の日に当たりましたので、ご講師は、聖人が京都に戻られてからご往生されるまでのお姿についてお話しになりました。

 ご講師は、最初に「自然(じねん)」という言葉について、親鸞聖人が「自」は「おのづから」ということであって、私たちのはからいによるものではないこと、「然」は「しからしむ」ということで、これも私たちのはからいではなく如来のちかいによるもので、聖人が私たちの示していただいたのは、「阿弥陀さまの方から私たちを仏にさせる」ちかいだったということを示されました。

 ご講師は、「阿弥陀さまの方から」ということは、「私たちが願うから」すくわれるのではないことだとされます。赤ちゃんは願うこともお念仏することもできません、私たちは命終わる時にはお念仏をする力もなくなっているかもしれません。阿弥陀さまの方からどのような者でも救うとちかわれたのだからこそ、お念仏することができない人も、お念仏を知らない赤ちゃんも等しくすくわれるのだと、親鸞聖人は私たちに示していただきました。

 ご講師は、京都に帰られた62歳のころから後の親鸞聖人のご活動を、書物、手紙、面談という形で紹介されました。ご講師は『教行信証』が完成を見たのは聖人75歳の時だったとされ、それから後の多くの著述についてご紹介いただきました。聖人は、75歳から90歳代までの期間に多くの重要な書を著され、ご門弟に手紙を送られ、遠く「身命を賭して」来られたご門弟に親しくみ教えを伝えられました。

 親鸞聖人のみ教えを伝えたいというご活動と、その後の門信徒の方々の大変なご苦労がなければ、「阿弥陀さまの方から私たちを仏にさせる」というみ教えは800年もの後の私たちに伝えられることはなかったのです。
 本願寺第3代の覚如上人以降、連綿と勤められてきた親鸞聖人のご法事である報恩講は、このような聖人のご一生を偲び、ご苦労いただいたことに対する報恩の思いでお勤めすることを改めて思い起こすことができました。

 『御伝鈔』の親鸞聖人示寂の段です。
 「聖人弘長二歳仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日午時頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。」
 最後にご講師はこの段をお読みいただき、私たちはお念仏を申しながらお聞きすることができ、印象残るご法話でした。

(写真は、当日のお勤めの様子です)

 当日は、「大師影供作法」によりお勤めがなされました。このお勤めは、中央仏教学院の勤行習礼でお勤めして以来初めてで、懐かしくご一緒にお勤めすることができました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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