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690.報恩講をお勤めしました

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  11月7日、報恩講をお勤めしました。
 新型コロナウイルス感染が再び広がっていましたが、対策を行いながらお勤めすることができました。

 ご講師には、9年ぶりに香川孝志師をお迎えしました。香川師は宗門校の鎮西敬愛学園の校長をされた方で、長く教育の場でご指導をしておられた方です。また、2010年の春の法座で季節外れの降雪により休座となったことがありましたが、その時にご講師をお願いしていた方でもあります。

 ご講師は、蓮如上人が各地のご門徒さんに書き送られた『御文章』の「御正忌章」を取り上げて、報恩講についてお取次ぎをいただきました。

 ご講師は、最初に「寺院の本質は、『建物』ではなくて、法式(法要、式典)の場、聞法の場であるること、その法式、聞法の最も重要なものが御正忌報恩講だ」とお話しされました。そして、この報恩講にも様々な形でお参りされる方があると、御文章の御正忌章を紹介いただきました。その最初の部分です。

 「そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。」
 (報恩講にお参りする人の中には、信心をいただいた人もあれば、そうでもない人もあるでしょう。これは何よりも大事なことです。)

 私たちは、信心をいただいて、誰でも、この世の限りある命、苦しみの生から救われて限りのない命をいただくことができると、示していただいたのが親鸞聖人でした。ただし、
 「なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。」
 (本願名号のいわれを聞きひらくこともなく、口でただ称名さえとなえていれば極楽に往生できる思っている人があるが、それはまったく当てにならないことです。)

 そうではなくて、
 「他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。」 
 (阿弥陀さまが私たちを救わずにはおれないと願われ、呼びかけられた「南無阿弥陀仏」の名号の心をしることができれば、信心が定まり限りない命をいただくことができるのです。)

 ご講師が仰っておられましたが、親鸞聖人をしのぶご法事である御正忌報恩講は、本願寺第3世の覚如上人の時代から毎年勤められているものです。「親鸞聖人の親戚でもない」私たちが、このように聖人のご法事を毎年お勤めするのは、聖人がこの阿弥陀さまのお救いを私たちにお伝えいただいたことに対する報恩、謝徳の思いを表すものなのです。
 改めて、報恩講の意味を確認させていただきました。

(写真左は当日のご講師とお参りいただいた方々、右は昼食の弁当を準備していただいている仏教婦人会の皆さんです。)

 今回も多くの方にお世話なりました。すでにご報告しましたように、総代の皆さんには境内周辺の草刈りをお願いしました。
 報恩講の前日には、仏教婦人会の井上愛子会長、志賀信子監査のお二人に本堂の掃除から椅子の配置をお願いし、当日には、婦人会の役員の皆さんにおとき(昼食)の仕出し弁当の準備をお願いしました。当日は、新型コロナウイルス感染対策として、おときはお持ち帰りいただくことにしましたので、その準備をお願いしたものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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