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690.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(13):名号の讃嘆(5)

唯信鈔文意講義s 

 引き続き、親鸞聖人が『唯信鈔文意』で取り上げられた最初の偈頌の第1句(如来尊号甚分明)を学びます。

 「甚分明」といふは、「甚」ははなはだといふ、すぐれたりといふこころなり、「分」はわかつといふ、よろづの衆生ごとにとわかつこころなり、「明」はあきらかなりといふ、十方一切衆生をことごとくたすけみちびきたまふこと、あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。

 (「甚分明」というのは、「甚」は「はなはだ」ということであり、すぐれているという意味である。「分」は「わける」ということであり、あらゆる凡夫を一人一人見分けて救うという意味である。「明」は「あきらかである」ということである。すべてのものをことごとく助けてお導きになることが、明らかであり、一人一人を見分けて救うのであり、それがすぐれているということである。)

 聖人は、ここでは「甚分明」という言葉について、最初に3つの文字一つ一つの意味を説かれ、次いでその言葉を合わせた解釈を伝えていただいています。この合わせた解釈がこの部分の心を総合したものになっています。

 この部分で興味を持ちましたのは、「「分」はわかつといふ、よろづの衆生ごとにとわかつこころなり、」という言葉の解釈です。
 加藤辨三郎氏の著『親鸞に学ぶ仏教の極意 唯信鈔文意』に取り上げられている二橋進氏の訳では「分はわかつ、すなわちおおくの人びととわかつ意です。」とされていました。阿弥陀さまのおはたらきが、ひろくあらゆる人々に届けられる、という意味になります。
 一方、今回記しました訳では、「一々の衆生の機品のまま、善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、平等に残らずたすけたもう」(普賢晃壽師)というお心だと示されています。阿弥陀さまのおはたらきの広さと同時に、衆生一人一人に向けられるという深さも感じられる解釈だと思いました。

(図は、いつも参考にさせていただいている梅原眞隆師の『唯信鈔文意講義』をプリントアウトしたものです)

 以前お話ししておりましたが、この本は美祢市立図書館の蔵書にあります。今回ブログで、『唯信鈔』と『唯信鈔文意』について学ぶにあたって、この本を参考にさせていただいていました。そのため、一度借り出して、(借り出し期間を延長したうえで)返却し、また借り出し手続きをして借りる、ということをやっておりました。
 面倒だなと感じていましたが、古書で買うと1万円を超える本なのです。そんな中、この本が「国立国会図書館」のデジタルコレクションにあることを知りました。しかも、スキャンされた全ページをダウンロードすることができ、プリントアウトすることも可能だということが分かりました。

 図書館の本は著作権との関係でコピーについては制約があるのですが、この本は著作者の梅原眞隆師が亡くなられ(1966年のご往生です)てからの経過年数によってコピーすることが可能になっていたのです。
 そのようなことで、高価な古書でもなく、図書館に何度も借りに行かなくても、ちょっと見にくいのを我慢すれば手元でプリントアウトしたものを使うことができるようになりました。
 デジタル時代の恩恵を実感することができます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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