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683.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(10):名号の讃嘆(2)

20200921ササゲs 20200921シカクマメs 

  気が付きましたら1カ月が経過していましたが、『唯信鈔』と『唯信鈔文意』に戻ってきました。
 今回も『唯信鈔』の御文を学びます。前回、聖覚法印は、末法の世では、この世で自力を励んでさとりを開く聖道門ではなく、浄土に往生してさとりを開くことを願う浄土門という道しかないのだということを示されました。
 それに続いて法印が述べられた言葉です。

 「ただし、この門にまた二つのすぢわかれたり。一つには諸行往生、二つには念仏往生なり。」
 (ただし、この浄土門も、また二つの筋にわかれています。一つには諸行往生であり、二つには念仏往生です。)

 引き続き、法印は諸行往生について述べられます。
 「諸行往生といふは、あるいは父母(ぶも)に孝養(きょうよう)し、あるいは師長に奉事(ぶじ)し、あるいは五戒・八戒をたもち、あるいは布施・忍辱(にんにく)を行じ、乃至(ないし)三密(さんみつ)・一乗(いちじょう)の行をめぐらして、浄土に往生せんとねがふなり。」
 (諸行往生というのは、父や母に孝養し、あるいは師や目上の人によく仕え、あるいは五戒や八戒を守り、あるいは布施や忍辱を行い、また真言や法華の行を修めて、浄土に生まれようと願うことです。)
 法印は、この世でよいこととされている様々なことを行うことにより往生を遂げようとすることを諸行往生と呼ばれます。そして、これらの諸行によって往生を遂げることはできないわけではないが、それは阿弥陀さまが願っておられることではないとされます。なぜならば、これらの行は自力の行ですので、行がおろそかであれば往生を遂げることはできないし、行そのものを行ずることができない者もあります。阿弥陀さまの願いとは違っているのだと示されます。

 続いて、念仏往生について述べられます。
 「二つに念仏往生といふは、阿弥陀の名号をとなへて往生をねがふなり。これはかの仏の本願に順ずるがゆゑに、正定(しょうじょう)の業(ごう)となづく。ひとへに弥陀の願力にひかるるがゆゑに、他力の往生となづく。」
 (ついで、念仏往生というのは、阿弥陀仏のみ名を称えて往生をとげることを願うことです。これは、阿弥陀仏の本願に従うものですから、正定の業といいます。ひとえに阿弥陀仏の本願の力にひかれるものですから、他力の往生と名づけます)

 これに続いて、法印は、称名念仏がなぜ仏願に順ずることになるのかということを説かれます。法印は、法蔵菩薩があらゆる衆生を救いたいと願われ、五劫という長い時間思惟を重ねられた所以を述べられます。
 次いで、「まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんといふ願をおこしたまへり。」(まず、諸仏が私の名を称えるようにと願ずる第十七願をおこされました。)と48の願から第十七願について記されます。

 この第十七願は、「諸仏称名の願」とよばれます。改めて記してみますと、
 「たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。」
 (わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みな私の名をほめたたえないようなら、私は決してさとりを開きません)

 聖覚法印はまず第十七願に注目されました。これについて、『聖典セミナー 唯信鈔文意』で普賢晃壽師は次のように述べておられます。
 「(法然聖人が著された)『選択集』の上では、念仏往生の本願は第十八願のみの一願建立の立場であり、第十七願への注視は存しない。(中略)親鸞聖人と同じく、聖覚法印が第十七願に注目されていたことは、教学伝承上における法印の発揮というべきであろう。」 ここでの「発揮」は「新しい見解」という意味ですので、師は法印が法然聖人のみ教えを展開され、親鸞聖人もそれを継承されたものだとしておられます。

 この文に続いて法印は次のように記されます。
 「この願ふかくこれをこころうべし。名号をもつてあまねく衆生をみちびかんとおぼしめすゆゑに、かつがつ名号をほめられんと誓ひたまへるなり。しからずは、仏の御こころに名誉をねがふべからず。諸仏にほめられてなにの要かあらん。」
 (この第十七願を深く受け止めるべきです。み名を称えることで衆生を導こうとお考えになられたのですから、まず諸仏がみ名をほめたたえられると誓われたのです。そうでなければ、阿弥陀仏のみ心には、ほめたたえられるということを願うこともおこらなかったでしょうし、そのような必要もなかったたのです。)
 (この部分の現代語訳は、二橋進氏の訳とは少し違っています。ひょっとしたら私の誤解があるかもしれません)

 これに続いて、前回お示しした次の4句の偈頌が記されます。
  如来尊号甚分明 十方世界普流行
  但有称名皆得往 観音勢至自来迎

 次回は、この偈頌について親鸞聖人が『唯信鈔文意』に記されたことについて学びたいと思います。

 最後にまったく余計なことなのですが、今回の記事を書いていて「三密」という言葉があったなあ、と思い出しました。いまはやりの言葉の一つになっていますが、ここでの「三密」は全く違うもので、身密、口密、意密という密教でいう三つの業のことだと教わりました。聖覚法印は、その書に「真言なり」と左訓(注記)しておられるように真言仏教を意味する言葉です。

(写真は、建物の日よけに使われているマメの仲間です)

 いずれもJAの事務所で植えられていたもので、どちらも食用になる豆のようです。
 左は、ササゲ(大角豆)と「JA厚保」の人は呼んでいました。しかし、サンドマメとかインゲンという豆だという声もあって結論が出ていません。
 右は、シカクマメ(四角豆)と呼ばれているもので、「JA厚南」に植えられていました。実の断面が四角になる豆で、これには異議はなさそうです。
 建物の日よけに植えられる植物は、かつてはアサガオとかゴーヤなどが多かったように思いますが、最近はいろんな植物が使われて見るだけでも楽しいです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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