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672.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(8):題号釈(2)

 20200828信行両座s 

  親鸞聖人が「唯信鈔」という題号について説かれた「題号釈」について、学んでいます。

 今回の部分は、その二回目です。御文です。

 「また「唯信」は、これこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり。すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。」

 訳文です。
 「また「唯信」というのは、この他力の信心のほかに別のことは習わないということである。すなわちこの信心は、阿弥陀仏が広くすべてのものを救おうと誓われた本願そのものだからである。」

 前回の部分で、聖人は聖覚法印の『唯信鈔』を貫いて流れている教えは「信心」にあり、題号の「唯信鈔」はそのことの全てを言い表しているのだと、され、信心一つが浄土に往生する正しい因だと示されました。
 今回の部分で、親鸞聖人は、法然聖人から学んだものは他力の信心のほかには何もないのだと聖覚法印が示しておられる、と受け止めておられます。このように、親鸞聖人は、他力の信心が唯一の往生の因であるということが法然聖人から聖覚法印を通じて親鸞聖人に間違いなく伝えられているということを私たちに示しておられます。

 今回初めて知ったのですが、この「余のことならはず」という部分について、「余のことならばず」と読むという説もあるのだそうです。その場合、往生の因は他力の信心のみで、その他に余のことのならぶものはない、と解することになります。
 普賢師は、ここはやはり、法然聖人から学んだものは他力の信心だけであり、他のものはない、という意味だとしておられます。

 本日の部分を読んでおりまして、「御絵伝」の「信行両座」ののことを思い出しています。
 親鸞聖人が法然聖人のもとにおられた時に、法然聖人のお許しを得て、「弥陀の本願を信じる信と称名を励む行のどちらが往生を遂げる因なのか、考えを示してください」とお弟子さん方に問いかけられたという逸話です。
 これに対して、「信」の座につかれたのが親鸞聖人、聖覚法印ほかに二人の方で、法然聖人も「信」を支持されました。

 この逸話は、聖覚法印、親鸞聖人は正しく法然聖人の教えを受継いでおられたということを示すものでもあります。

(写真は、稲田の西念寺本の伝絵の「信行両座」の段です。『唯信鈔』を著された聖覚法印の姿も見ることができます。)

 このブログで「信行両座」の段については、自坊の御絵伝西本願寺本及び専修寺本の伝絵の図をご紹介していましたが、今回は西念寺に伝わる伝絵からお借りしています。
 正面奥におられるのが法然聖人、左手前で記録を記しておられるのが親鸞聖人、その隣が法蓮坊信空と聖覚法印と伝えられています。また、親鸞聖人の前におられるのが遅れて来られた法力坊蓮生(熊谷直実)で、法力坊も「信」の座につかれました。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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