FC2ブログ

666.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(5):書誌

20200817唯信鈔s   20200817唯信鈔文意s 

 『唯信鈔』、『唯信鈔文意』について、今回はその原典について学びます。

 『唯信鈔』は、聖覚法印が承久3年(1221年)に著された書ですが、その自筆原本は伝わっていないのだそうです。しかし、親鸞聖人が書写された写本が残されていて、私たちはその内容を知ることができます。

 親鸞聖人が書写された『唯信鈔』の真跡本としては、梅原眞隆師(本派の勧学寮頭を勤められた方です)が著された『唯信鈔文意講義』という書に、次の4本が紹介されています。
 〇高田派専修寺所蔵本:寛喜2年(1230年)、聖人が関東におられる時代に書写されたとされるものです。聖覚法印の自筆書から書写されたと記されているところから、この書の法印自筆本が関東におられる聖人のお手元にあったことが分かります。
 〇高田派専修寺所蔵平仮名本:文暦2年(1235年)、京都に戻られた聖人が書写されたものです。奥書に「文暦二年乙未三月五日御入滅也」と聖覚法印がこの年に示寂されたことが記されています。聖人は亡くなられた聖覚法印を偲んでこの写本を作られたとされています。
 〇本願寺所蔵本
 〇大谷派本願寺所蔵本

 これらの写本のほかに、聖人ご真筆とされる書写本が複数伝えられていて、このことからも聖人が門弟の方々に『唯信鈔』の写本を送られて熟読するようにとお勧めになったことが分かります。

 一方、聖人ご自身が著された『唯信鈔文意』は御真跡本が残されていて、次の2本が真宗高田派の専修寺に伝えられています。
 〇康元2年(1257年)正月11日付け本
 〇康元2年正月27日付け本

 この『唯信鈔文意』は、建長2年(1250年)に聖人が著されたとされています。それは、盛岡市の本誓寺というお寺に伝えられる古い写本に、建長2年に親鸞聖人が78歳でこれを書かれた、とする奥書を持ったものがあることから来ています。

 ちょっと横道に逸れる感じですが、真宗高田派のホームページに「宝物ご紹介」というページがあります。その中で、専修寺蔵の『唯信鈔』と『唯信鈔文意』(正月27日本)を比較した説明があって、双方の筆跡や紙質が全く一致しているのだということが記されています。寛喜2年(1230年)と康元2年(1257年)に記されたとされる2つの書が同じ時に記されたとされる共通点を有しているということになります。
 これについて、そのホームページでは、専修寺本の写本『唯信鈔』は寛喜2年の日付がありますが、実際は康元2年に書写されたものだろうとされ、寛喜2年と記されたのは、聖覚法印のこの書に出会われた「そのときの感激が思い起されたからではあるまいか。」とされています。
 同じページで、『唯信鈔文意』の著述時期についても、本誓寺本に建長2年という奥書がありますので、「少なくともそこまで遡らせることはできる。(中略)聖人と『唯信鈔』との出会いなどから考えて、さらに遡らせるべきではないか、とするのが大方の意見のようである。」とその著述時期はさらに遡る可能性について触れられています。

 このように、その書そのものについても興味をひくことが多くありますが、次回以降は御本の内容に入っていきたいと思います。

(図の右は『唯信鈔』(本願寺所蔵の親鸞聖人御真跡写本)、左は『唯信鈔文意』(専修寺蔵の康元2年正月27日本)です)

 いずれも、本願寺出版社刊『聖典セミナー 唯信鈔文意』よりお借りしています。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR