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663.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(4)

20200807隆覚律師 

 これまで、聖覚法印が著された『唯信鈔』学ぶにあたって、この書を著された聖覚法印について、次いで親鸞聖人が法兄である聖覚法印を深く敬慕しておられたこと、そして『唯信鈔』が書かれた時代について学んできました。

 すでに見てきましたように、聖人は関東から京都に戻られてから後、関東のお弟子さんにこの『唯信鈔』を書写して送られ、これを読むようにと何度もお勧めになっています。今回は、親鸞聖人が関東のお弟子さんに送られたお手紙(「御消息」とお呼びしています)の中でどのような思いでもってこの書について記しておられたのかということについて学びたいと思います。

 親鸞聖人が「御消息」の中で『唯信鈔』の名前をあげておられるものについて調べてみました。その結果、43通の御消息のうちの6通でこの書の名前をあげておられることが分かりました。

 日付が記されていない御消息で『註釈版聖典』では第4通とされているものがあります。建長4年(1252年)に書かれたと推定されているものです。その中で聖人は、「往生は凡夫があれこれと思いはからってできることではありません」とされ、次のように記されています。
 「以前にお送りしました『唯信鈔』や『自力他力事』などの書物をご覧になってください。これらをお書きになった聖覚法印や隆寛律師こそ、今の世の私たちにとって善知識なのです。すでに往生を遂げておられる方々ですので、どのようなことがあってもこれらの書物に書かれていることにまさるものは何一つあるはずがありません。法然聖人の教えを深く心得ておられる方々でした。」(現代語訳は『親鸞聖人御消息(現代語版)』によります。以下も同じです。)
 この御消息で、聖人は、聖覚法印が法然聖人のみ教えを正しく受け継いでおられる方だとそのお言葉を学ぶようにお弟子さんに強く勧めておられます。

 ついで、年号は記されず12月26日付けとされている御消息第41通です。
 「まず、一回の念仏に浄土往生の因がすべてそなわっているということは、実にもっともなことです。けれども、一回の念仏を称えた後に、それ以上称えてはならないということではありません。そのことについては、『唯信鈔』に詳しく示されています。よくご覧になってください。」
 「一回の念仏だけで必ず往生できるからといって、数多く念仏するものは往生できないなどということは、決してあってはなりません。『唯信鈔』をご覧になってください。」

 次は、年号は記されていませんが2月3日付の第18通とされている御消息です。
 「あちこちで勝手に、自分の意見こそが正しいと思っていい争うのは、決してあってはならないことです。京都でも、一念で往生が定まるとか多念で往生が定まるとかいう争いが多くあるようですが、そのようなことは決してあってはなりません。結局のところ、『唯信鈔』や『後世物語聞書』や『自力他力事』などの書物を十分ご覧になって、その内容と異なることがあってはならないということです。」
 この2通の御消息では、聖人は、いわゆる「一念多念論争」について『唯信鈔』を引いて、このような論争に引き込まれないようにと注意を促しておられます。

 次も、年号がなく正月9日付けと記されていて、第17通とされているもので、真浄というお弟子さんに宛てて書かれています。聖人は関東のお弟子さんの間で生じた動揺、混乱に対処するために派遣されたご子息の慈信房善鸞が、自身の正当性を主張するために自分は聖人から特別の教えを受けたとして、誤った考えを唱えついには念仏の教えも否定しているという状況を嘆き、次のように記されています。
 「みな慈信房のいうことにしたがって、尊い書物などをお捨てになってしまったとお聞きしますのは、どうしようもなく悲しいことです。十分に『唯信鈔』や『後世物語聞書』などをご覧になってください。」

 ついで、11月9日の日付がされている御消息で、関東にいる子息の慈信房善鸞に宛てられたものです。第33通とされるもので、善鸞からの報告を読んで書かれた御消息です。この頃には、関東のお弟子さんから聖人の元に善鸞の動向に関する情報が伝えられていたようですが、まだ非が善鸞の方にあるということに確信を得ておられない状況で、善鸞に状況を問い合わせておられます。
 「力を尽くして『唯信鈔』や『後世物語聞書』や『自力他力事』の内容や、二河の譬えなどを書いて、各地の人々にお送りしましたが、すべてみな無意味なものになってしまったと聞いています。どのように教えを説いているのですか。」

 親鸞聖人は、関東でお弟子さんの間に混乱が生じ、阿弥陀さまのご本願を疑い、み教えを捨てるものが出ているその原因は善鸞にあると確信されるにいたります。聖人は御消息第9通を善鸞本人に書かれ、親子の縁を絶つことを伝えられました。5月29日の日付だけが記されていますが、建長8年(1256年)のことです。
 そして同じ日付で性信房というお弟子さんに宛てて御消息を書かれました。第8通とされるものです。この御消息の中で、聖人は善鸞の行動によって関東のお弟子さんが動揺し、教えを棄てる状況になったことを述べて、善鸞と親子の縁を絶つと記されます。そして、次のように述べられます
 「恐らく、『唯信鈔』・『自力他力事』・『後世物語聞書』・『一念多念分別事』・『唯信鈔文意』・『一念多念文意』などの書物をご覧になりながら、慈信(善鸞)の教えによって、多くの念仏者は阿弥陀仏の本願を捨てているようですが、何ともいいようがないので、これらの書物について、今後お話しになってはいけません。」
 この「これらの書物について」と訳されている部分以下は、原文は「かやうの御ふみども、これよりのちには仰せらるべからず候ふ。」となっています。この部分「善鸞の策動によってみ教えを捨てた者には、これらの書物に説かれている内容について話す必要はない」という解釈をしていますが、親子の縁を切ったことで「今後、善鸞の行動についてこちらに伝える必要がない」とされたものだという解釈もあるようです。

 このように、親鸞聖人は、聖覚法印が法然聖人のみ教えを正しく継承しておられる方だとされ、お弟子さんの間に論争や混乱、動揺が生じた際は、法印の『唯信鈔』を読んで法然聖人の念仏の正しいみ教えに戻るようにと、お勧めになりました。しかし、ご子息の慈信房善鸞が聖人のご意思に反した策動を行い、関東のお弟子さんの間に混乱と離反が生じ、聖人は善鸞を義絶されました。後の3通の御消息は、この事態を前に、聖人が苦しみ、悲しんでおられることが感じられる御消息です。

(図は、隆寛律師が法然聖人の五七日の導師を勤めておられる様子です。「法然上人行状絵図」よりお借りしています)

 隆寛律師(りゅうかんりっし)は、比叡山で学ばれた僧侶ですが、後に法然聖人に帰依され、今回の最初の御消息で親鸞聖人が、聖覚法印とともに隆寛律師を法然聖人のみ教えを伝えられているとされたように、法然聖人からも厚い信頼を寄せられ、また親鸞聖人も崇敬の念を持たれた方です。
 親鸞聖人の御消息にも書名がでてきます『自力他力事(じりきたりきのこと)』や『一念多念分別事(いちねんたねんぶんべつのこと)』はこの隆寛律師の著書で、『後世物語聞書(ごせものがたりのききがき)』も同律師の著だろうとされています。

 なお、「律師」は、もとは僧侶を取り締まる官職(「僧綱」)の名前でしたが、後には僧侶の身分を示す称号となったようです。「法印」ももとは朝廷が僧侶に与えた位階(「層位」)でしたが、その層位もその後多くの者に与えられるようになったということです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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