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652.お知らせ:夏法座をお勤めします

20200629掲示 20200629ナツツバキ  

 新聞版「壽福寺だより」の記事でご連絡しましたように、7月12日に夏の法座をお勤めします。
 先日の法中会で、7月の法座について情報交換を行ったのですが、中止することを決められたお寺が5か寺、実施する予定だとされたお寺が4か寺、とほぼ半々という状況でした。
 壽福寺では、マスクの着用をお願いし、手を消毒していただき、席が近づかないようにする、戸を全開にするなどの対策を実施してお勤めすることにしました。
 振り返ってみますと、最後にお勤めした報恩講が昨年の11月10日でしたから、8カ月ぶりに皆さんとお会いし、ご一緒にご法話をお聞きすることになります。

 先日、掲示板に夏法座のご案内と「ひとこと」を掲示しました。そのひとことは「これからが、これまでを決める」という言葉にしました。
 この言葉は、『文藝春秋』の6月号で出会ったものです。同誌の巻頭言に当たる部分に、数学者の藤原正彦氏が毎号文章を寄せておられるのですが、氏は「近所の真宗の寺を通りかかった時、」この言葉に出会い、「何気なく通り過ぎた私は、十メートルほど行ってから「あっ」と声を出し掲示板に戻った。」と記されています。

 藤原氏は、私たちが普通に考える「これまでがこれからを決める」という考え方は、「原因があって結果があるという欧米型世界観で」あり、この出会った言葉は「これからの生き方次第で、これまでの人生の意味が違ってくるということ」を示してくれる「東洋の哲学だ」と受け止められたようです。

 少し前になるのですが、金子大栄師の言葉をヒントに「やり直しのきかぬ人生ではあるが、見直しはできる」という言葉を寺の掲示板に記したことを思い出しました。
 大栄師の「やり直しのきかぬ人生であるが、見直すことができる 」という言葉を、掲示用の用紙に納まる字数にするためという申し訳ない理由で縮めたものでした。

 大栄師の言葉と今回藤原氏が紹介された言葉とは、通底するところがあると思います。
 私たちは、「過ぎ去った過去は変えることができない」と普通は考えます。しかし、何かを契機にして現在の姿について見え方が変わる、というようなことを体験することがあります。自身が病気になったり、親しい人が亡くなったりというような経験をすると、これまで当然のことと思っていたことが、そうでなく本当はかけがえのない大切なものだったと気付くことがあります。そうすると、これまでの過去も同じものでありながら違ったものに見えてきます。変えることができないと思われた私自身の「過去」についても、違った見え方ができることがあります。
 
 大栄師の言われる「見直す」ことのきっかけは、藤原氏の紹介された「これから」に向かう私たち自身の姿勢だということになるのでしょうか。このようにして、「これまで」を違う目で見るようになった私たちは、今度は再び「これから」に向かって違うアプローチができる、というサイクルを持つことができるのかもしれません。

 このブログでもご紹介しましたNHKの朝のドラマ「半分、青い。」で、医師から5年後の生存率が50%と告げられた主人公の母親の受け止め方も印象に残ることでした。彼女は、その宣告を受けて、これまでの当たり前だと思っていた時間が本当はかけがえなないものだったということに気づきます。そして、それに気づいた彼女は、残された時間をこれまで以上に大切にして生きていくことになるというように、「これまで」と「これから」のサイクルがつながっていくのだと思います。

(右の写真は、ナツツバキの花です)

 別名、サラソウジュ(沙羅双樹)とも呼ばれています。お釈迦さまはサラソウジュの元でお亡くなりになられましたが、そのサラソウジュはこのナツツバキとは別の植物です。寒冷な日本では、代わりにナツツバキが寺院などに植えられています。
 ちょうど今頃花期を迎えています。花は朝開き、夕方には落花する一日花です

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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