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60.ご存知ですか(7):領解文


20141024ウメバチソウ1
 20141024ウメバチソウ2 20141024ウメバチソウ3

 今日は、「領解文(りょうげもん)」とお呼びしているご文について学びたいと思います。
 前回からお正信偈に入ったところで行ったり来たりのようで恐縮ですが、11月9日の報恩講でもご唱和しますので、内容を見ておきたいと思いました。

 「領解文」は「もろもろのぞうぎょうざっしゅう・・・」で始まるご文で、寺の法座では「領解出言(りょうげしゅつごん)」の言葉に続いて皆さんで唱和いただいているご文です。

 この「領解文」は第八代宗主の蓮如上人がお作りになられたと伝えられています。
 簡潔な文章なのですが、浄土真宗の教義を口に出して陳べることができるようにまとめられ、またみ教えについての誤解に対して正しい理解を示していただいているご文です。

 ご文全体は「安心(あんじん)」、「報謝(ほうしゃ)」、「師徳(しとく)」、「法度(ほっと)」の4つの段に分かれています。

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅう)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御たすけ候(そうら)へとたのみまうして候(そうろ)ふ。(安心の段)

 たのむ一念のとき、往生一定(いちじょう)御たすけ治定(じじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。(報謝の段)

 この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山(ごかいさん)聖人御出世の御恩、次第(しだい)相承(そうじょう)の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんけ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。(師徳の段)

 このうへは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。(法度の段)

 内容を見てみますと、

 「私たちは、阿弥陀如来のお力(本願力)におすがりする以外、どのような自力の行によっても往生を得ることはできないとお示しいただきました。そのことをお受けして、私の往生浄土という一大事については、「間違いなくおまえを救う」と願っていただいた阿弥陀如来のお力にお任せします、と、おすがり申し上げます。

 このように阿弥陀如来にお任せするという信心をいただいたとき、如来のお救いの力により私の往生浄土は間違いないものとありがたく承り、これから後のお念仏は、阿弥陀如来のこのご恩に対する報謝として、喜びのうちにお称えいたします。

 このみ教えをお聞きすることができるのも、開祖の親鸞聖人がこの世にお出ましいただいたおかげであり、またその後代々み教えを受け継いでいただいたご門主方がお勧めいただいたおかげであるとありがたく存じております。

 このように念仏申す身になったからには、私は浄土真宗の門徒として定められた掟を生涯を通じてお守りする所存です。」

 「領解文」の中に「たのむ」という言葉が2回出てきます。この「たのむ」という言葉は誤解されやすいように思います。
 「たのむ」は現代語では「依頼する、お願いする」といった語感で使われることが多いように思われますが、「領解文」で使われている古語の「たのむ」は「信頼する、たよる、まかせる」という意味だと伺いました。「お願いする」のではなくて、「お任せする」ということです。

 「自力」という言葉は、浄土真宗のみ教えの中心をなす「他力」という言葉に対する言葉です。
 「自力」「他力」については、また改めて考えさせていただきたいと思っていますが、親鸞聖人の次のお言葉を記しておきます。ここにも「たのむ」という言葉が使われています。

 「自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」
 このご文は、聖人が著わされたされた『一念多念文意』という書物からいただきました。聖人は、「自力の心」を「阿弥陀如来の本願を疑う心」だとされています。

 (写真はウメバチソウという植物です)

  前回のムラサキセンブリと同じ10月11日に秋吉台で出合いました。右は蕾と独特の形をした葉です。
  ウメバチソウという名前は、花が梅鉢という家紋に似ているところから付けられたという説明を読んだことがあります。そういえば、梅鉢という名前のお菓子もあります。

 (このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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