FC2ブログ

636.最近の話題(47):新型コロナウイルス(2)

  カリフォルニアデージーs
 前回、宗門の石上総長から出された「新型コロナウイルス感染症関する『念仏者』としての声明」についてお伝えしました。今回は、この声明をお読みして考えたこと、気づいたことについて記したいと思います。
 この声明の中で、私たちが大切なものと思っている「人とのつながり」が、このウイルス感染拡大の中では「安心」ではなく「不安の要因」となっているという現実が指摘されています。人との接触を80%減らしましょう、という呼びかけがまさにそれです。出かけない、集まらない、家にいましょう、といった呼びかけは、この「人とのつながり」を減らしましょう、なくしましょうという働きかけそのもののように思われます。

 しかし、声明では「『つながり』を表面的に考えてはなりません。世界的な感染拡大という危機に直面する今だからこそ、私たちは仏教が説く『つながり』の本来的な意味とその大切さに気付いていく必要があります。」と記されています。直接的な接触がとれなくても感じられる、それがとれないからこそ初めて感じられる「つながり」があるということを言われていると思います。
 テレビのニュースで、お客さんが途絶えたレストランのオーナーが苦しい経営状況にも拘わらず「前線で頑張っている医療関係者の力になりたい」とおいしい料理を届けておられる様子が伝えられていました。その他にも医療関係者を励ましたい、支えたいという思いから多くの活動が広がっていることも知りました。直接顔を合わせることや、言葉を交わすことがなくとも、ここでは「つながり」はしっかりと伝わっていると感じて観ていました。
 その一方で、自分の居住地区にあるホテルをコロナウイルス感染者の収容施設に転用することに反対している人があることや、医療従事者の家族があたかも感染者であるかのように差別されているという報道もありました。「つながり」が「不安要因」になっているという局面を象徴する事象だということになります。このような事例について知ると、私たちは「ひどいことをするなあ」という受け止め方をしますが、もう一度思い直してみますと、同じ立場に立った時に私は絶対にそのような行動をとらないと断言できるだろうか、と考えてしまいます。
 2017年の秋に、「御同朋の社会を目指す運動」僧侶研修会でお聞きした話を想い出しています。ご講師の人権社会問題担当部長の長屋善洋氏は、極限状態におかれた私たちは私たちがひそかに持っている差別意識を表面化させる可能性がある、と指摘されました。極限状態のなかでは、私たちの差別意識は増幅されて表面化する、さらには意識が逆転することもある、ということを言われました。

 ちょっとした小さなきっかけで、私は日ごろ言っていることとは違った行動をとるかもしれません。そんなはずはなかったのに、と思われるような差別的な発言を行うかもしれません。しかし、自分たちはそのような存在なのだ、と自身を甘やかせてはいけないと思います。「平時」から自身がそのような可能性をもった存在であるということを意識していること、そして「極限状態」に面した時に、難しいことなのでしょうが、自分中心に考えるのではなく「人とのつながり」の中で生きていることを改めて思い起こすこと、が必要だと感じます。

(写真は、カリフォルニアデージーの花です。)

 山陽小野田市にあります「花の海」にたくさん植えられていました。
 前回と今回2回続けて「デージー」になりましたが、今回はキク科の植物で和名を「ツマシロヒナギク(端白雛菊)」といいますから、デージーと呼んでもおかしくないでしょう。
 北米西部原産の植物で、カリフォルニア州には多くの種が分布しているようです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR