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632.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (56):下巻第六段(2)

 
20200420下巻第六段専修寺s20200420下巻第六段専修寺2s

 引き続いて『御伝鈔』の下巻第六段の前半部分を学びます。
 
 今回の図は、伝絵の専修寺本の第六段の部分です。
 前回の自坊の御絵伝には、右に聖人がお弟子さんと話をしておられる「病床説法」、中に聖人のご往生の様子を描いた「洛陽遷化」、左に「入滅葬送」と呼ばれる3つの場面が同じ画面に描かれていました。しかし、今回の伝絵では、「病床説法」の場面は描かれていません。
 思い返してみますと、前回学びました『御伝鈔』にも「病床説法」に関する記述はありませんでした。平松令三氏によりますと、この「病床説法」の場面が伝絵に描かれたのは、覚如上人が晩年に制作された康永本の「親鸞聖人伝絵」(東本願寺蔵)が最初で、それ以降の御絵伝で取り上げられるようになったということです。

 今回の絵には「聖人入滅し給ふところ也」と注記されています。
 そのご往生の場面で屏風の後ろに2人の僧が描かれていますが、この2人の僧は棺を作っています。左の絵では、棺を載せた輿が運び出されているところが描かれていますが、輿から棺が少しはみ出しています。御絵伝の図がいわば少し様式化されているのに対して、この伝絵の図は非常にリアルに実態を描いているように感じられます。

 そういえば、両方の絵では聖人のご往生に立ち会っておられる人の数も違っています。
 今回の伝絵では、聖人の枕元に3人の僧侶、少し離れて4人の僧侶が描かれているだけです。しかし、前回の自坊の御絵伝では、聖人の枕元に2人の僧侶、手前少し離れた位置に11人の僧侶、武士のような姿の人物が3人、それに覚信尼公ではないかとされている女性が一人と合計15人の人々がご往生の場面に描かれています。

 聖人のご往生に立ち会われた方々として、覚信尼公、尋有(じんう)僧都、顕智房、蓮位房などの方の名前が伝わっているそうです。
 そのうち、尋有僧都は親鸞聖人の弟君で天台宗の僧都だった人で、聖人がご往生された場所は尋有僧都の里房(都での住まい)だったとされています。また、顕智房は常陸国での聖人の高弟で、高田専修寺の第三世となった人で、高田と京都を行き来し、三河に念仏の教えを広めた人です。蓮位房は、以前「蓮位夢想」の段にも名前が記されていた方で、関東から京都に帰られた聖人に従って京都に向かわれ、聖人のお世話をされた方です。
 これらの方々やほかの方々を想定して描いた結果、「登場人物」が多くなったのでしょうか。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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