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631.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (55):下巻第六段

20200417下巻第六段自坊

 「御絵伝」に戻ってきました。本日から下巻第六段に入ります。
 御文と訳文です。

 「聖人(親鸞)弘長二歳[壬戌(みずのえいぬ)]仲冬(ちゅうとう)下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事(せいじ)をまじへず、ただ仏恩(ぶっとん)のふかきことをのぶ。声に余言(よごん)をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日[午時(うまのとき)]頭北面西(ずほくめんさい)右脇(うきょう)に臥(ふ)したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。ときに頽齢(たいれい)九旬(きゅうしゅん)にみちたまふ。」

 「親鸞聖人は、弘長2年(1262年)11月下旬のころから、ちょっとしたご病気になられました。それからというものは、世俗の事は全く口に出さず、ただ仏恩を深く頂戴してきた喜びの言葉だけをおっしゃって、ほかのことは言葉になさらないで、もっぱら念仏を絶えることなく称えておられました。そしてその月の28日正午ごろ、釈尊入滅の行儀にならって、頭を北に、顔は西に、右わき腹を下にして臥したまま、とうとうお念仏の声が絶え、亡くなられたのでした。御歳は90歳でした。」

 本日の段には親鸞聖人のご往生の様子が記されています。
 聖人は、弘長2年の11月28日にご往生されました。ご往生の時刻については御絵伝では午時(正午)とされていますが、他の文書では同じ日の未剋(ひつじのこく)つまり午後2時とするものもあり、こちらの方を記した方が多いのだそうです。平松令三氏は、『御伝鈔』が午時(正午)としておられるのはお釈迦さまが亡くなった時が正午だったのを考慮したのではないかとしておられます。頭北面西のお姿もやはり釈尊ご入滅のお姿を思わせるものです。

 平松氏はもう一つ、『御伝鈔』が聖人のご往生を、「つひに念仏の息たえをはりぬ」とだけ実に淡々と記述しておられる点についても注目しておられます。当時の高僧の死に際しては必ず瑞相(めでたいことの起こるしるし)が現れると信じられていたそうですが、そのような記述もなく、平生業成(へいせいごうじょう)つまり、臨終に往生が決定(けつじょう)するのではなく平生に決定するとされた聖人のみ教えをそのままお示しいただいたご臨終だとされています。

(図は、自坊の御絵伝下巻第六段です。)

 右から3つの場面が描かれています。
 右の場面では火鉢を挟んでお弟子さん方と話をされている親鸞聖人が、中の場面では聖人のご往生が、そして左には棺を輿に載せて荼毘(だび)所に出発する場面が描かれています。

 右の図は「病床説法」と名付けられていて、聖人が火鉢にもたれるようにして説法をしておられる姿、と伝えられています。多くの御絵伝では火鉢にもたれかかっておられる聖人のお姿が描かれているのですが、寺の御絵伝では、聖人は背筋を伸ばしてお元気そうに見えます。
 中の図で縁に座っている女性が描かれていますが、これは聖人の末娘で京都で聖人のお世話をしておられた覚信尼公だと言われています。多くの人々が聖人のご往生を嘆き悲しんでいる様子が描かれています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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