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615.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (50):下巻第五段(6)


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  前回に続いて御絵伝、下巻第五段の最後の部分になります。
 御文と訳文です。

 そのときかの俗人に対座して、聖人忽爾(こつじ)としてまみえたまふ。その詞(ことば)にのたまはく、「かれは善信(親鸞)が訓(おしえ)によりて念仏するものなり」と云々。ここに俗人笏(しゃく)をただしくして、ことに敬屈(けいくつ)の礼を著(あらわ)しつつ、かさねて述(の)ぶるところなしとみるほどに、夢さめをはりぬ。おほよそ奇異のおもひをなすこと、いふべからず。下向(げこう)ののち、貴坊にまゐりて、くはしくこの旨を申すに、聖人「そのことなり」とのたまふ。これまた不思議のことなりかし。

 そのとき、その貴族らしい俗人の前に、思いがけず親鸞聖人が出現して、その人に向かって「この男は私の導きによって念仏をしている者です」と仰せられました。するとその人は、手の笏を持ち直して姿勢を正し、うやうやしく敬礼の態度を示しました。そしてもう二度と平太郎に物を言わなくなったなァ、と思っていると、そこで夢が覚めました。何とも不思議なことだ、という感動は、言葉に言いあらわせませんでした。
 熊野からの帰り道に、親鸞聖人のお住居へ立ち寄ってこのことをご報告しますと、聖人は「うん、そうか、そうか」と、それがもうわかっていたかのようなお言葉でした。これまた不思議なことでした。

 この場面で親鸞聖人が登場されます。夢の中で、平太郎さんは熊野権現に叱責されるのですが、その時に親鸞聖人がお出になられて、「この男は私の導きによって念仏をしている」のだとして、平太郎さんをかばわれます。
 すると、熊野権現は聖人に対して威儀を正して敬意を表し、平太郎さんに対してそれ以上なにも言わなかった、というところで平太郎さんの目が覚めた、と記されています。
 そして後刻そのことを親鸞聖人に報告したところ、聖人は「そうか、そうか」と、あらかじめご存知だったようであったという逸話です。

 御絵伝を制作された覚如上人は、この逸話を通して、熊野権現の本地は阿弥陀如来であって、日本の衆生を救うために権現の姿をとって現れられたのだとする「本地垂迹説」を説いておられます。
 以前にも記しましたように、この下巻第五段は、覚如上人は当時の浄土教が置かれた状況について在来の伝統仏教との関係に加えて、神祇崇拝を含む日本古来の風習との関わりの中で「折り合い」をつけることに腐心しておられたことが伺える段だということができます。

(図は、専修寺本の伝絵です。)

 手前の図に対する注記に「平太郎夢想のところ也」、後方図の右注記に「態(熊の誤記)野証誠殿」、左部分に「聖人」、「権現あらわれたまふところ也」と記されています。

 前回見ました御絵伝の図と比較しますと、「うやうやしく敬礼の態度」という印象が薄いのですが、いずれにしても平太郎さんの夢の中に聖人がおいでになって熊野権現と対面されているところが描かれています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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