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608.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (48):下巻第五段(4)

20200124下巻第五段東本願寺本

 前回に引き続いて親鸞聖人は平太郎さんに説かれます。

  証誠殿(しょうじょうでん)の本地(ほんじ)すなはちいまの教主(阿弥陀仏)なり。かるがゆゑに、とてもかくても衆生に結縁(けちえん)の志ふかきによりて、和光の垂迹(すいしゃく)を留(とど)めたまふ。垂迹を留むる本意、ただ結縁の群類をして願海に引入(いんにゅう)せんとなり。しかあれば本地の誓願を信じて一向に念仏をこととせん輩(ともがら)、公務(くむ)にもしたがひ、領主にも駈仕(くし)して、その霊地をふみ、その社廟(しゃびょう)に詣(けい)せんこと、さらに自心の発起(ほっき)するところにあらず。しかれば垂迹において内懐(ないえ)虚仮(こけ)の身たりながら、あながちに賢善(けんぜん)精進の威儀を標(ひょう)すべからず。ただ本地の誓約にまかすべし、あなかしこ、あなかしこ。神威(じんい)をかろしむるにあらず、ゆめゆめ冥眦(みょうし)をめぐらしたまふべからず」と云々。

 「証誠殿」と呼ばれる熊野本宮にまします熊野権現は、その本体は阿弥陀如来です。ですから、どのようなことがあっても衆生を救おうとのお志が深いので、本体の光をやわらげ姿を変えて、この日本に神の姿になって出現せられたのです。ですから神の姿をしていても、本心は、因縁の深い民衆たちを阿弥陀如来の本願海に引き入れよう、というところにあります。
 したがって、本体である阿彌陀如来の誓願を信じて一向専念の道を進んでいる人びとが、公的な用務のために、領主の命令を受けて、霊地熊野へもうで、神社におまいりすることになっても、それは自分自身が発起しておまいりするのではないのだから、それでかまいません。それだから神社に参拝するに際しても、内心はうそいつわりに満ちている身でありながら、うわべを美しく飾ってごまかし、精進潔斎の行儀をしたりするようなことはしてはなりません。ただ阿彌陀如来の誓願に身をまかせているべきです。なんとありがたいことでしょうか。それは決して神さまの威徳を軽視するのではありません。神さまも絶対に怒ってにらみつけるようなこともなさらないでしょう。」と。

 本日の部分では、平太郎さんが熊野権現に参拝してもよいのでしょうか、と問われたことに対して親鸞聖人がお答えになられた内容が記されています。
 聖人は平太郎さんに対して、熊野権現の本体は阿弥陀さまが衆生を救おうとされている姿だと言われ、公的な用務のために参拝しなければならないのであればそれは自身の発起によるものではなく、やむを得ないと仰いました。

 この権現のもともとの姿、本地、は仏であるという考えを「本地垂迹(ほんじすいじゃく、ほんじすいしゃく)」と言います。『浄土真宗辞典』に「本地垂迹」を尋ねますと、「仏・菩薩などが衆生救済のために仮の姿を現すことをいう。日本では、奈良・平安時代頃から仏と神道の神々との関係をあらわすために用いられた。特に熊野本宮の証誠殿に祀られる祭神の本地は阿弥陀仏であるとつたえられており、」とされており、古くから仏と神道の神々の関係を説明するのにこの考え方が用いられたということです。

 これは、仏教が日本の伝統的な社会からみれば、「外」から入ってきたということにその因があるように思われます。最初に仏教が伝えられた時すでにその受け入れについて争いがあったように、伝統的な日本の風習と仏教とは緊張関係の中にありました。その後、この本地垂迹のような理解が広まって、この緊張関係に折り合いがつけられたと言えるようです。
 平安時代末期に説かれた「新しい仏教」である浄土教は、在来の仏教との間で厳しい緊張関係を持ち、また神祇崇拝を含む在来の風習とも競合する性格を持つことになりました。浄土教に対する圧迫、迫害には、在来の仏教からの反発とともに神祇に対する不敬を非難する性格のものもあったようです。

 覚如上人が『御伝鈔』のこの段で、かくも多くの言葉をもってこの問題を取り上げられ、お考えを述べられたのは、平松氏が「この段は、教団と地域社会との摩擦を回避しようとした上人ご苦心の作文と思われるのですが、如何でしょうか。」と言われるように、その時代背景の中で理解しなければならないと思います。一つ前の「箱根霊告」の段でも権現との関わりが取り上げられていますが、これも同じ文脈の中で理解することができるように思います。
 
 親鸞聖人は、神祇不拝を説かれましたが、他の仏教に対してと同様に在来の神祇に対して不敬の態度をとることを戒められていました。大切なのは自身の信心であって、それをしっかり持つことができれば、他のものを蔑み、見下してはならないとされていました。
 仏教と日本の伝統的な習俗である神道とは全く別のものであって、本地垂迹の考えは否定されるべきものなのですが、神仏習合の形で長く行われ、ご家庭に仏壇と神棚が普通のようしにて置かれているなど、私たちの考えや行動にも大きな影響を与えてきたように思います。
 この段で、聖人は本地垂迹の考え方を述べておられますが、また同時に自身の発心でなければ権現参拝もやむを得ない、ともされています。覚如上人のご文を離れて考えてみますと、公的な用務のためで「自身の発心でなければ」とされたように、親鸞聖人は本地垂迹の考えを否定しておられたように思われます。
 時代の状況の影響を除いた形で、親鸞聖人が説かれたことを学ばなければならないと改めて思います。

(図は、この段を描いた伝絵の東本願寺本です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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