FC2ブログ

605.最近の話題(40):プラセボ製薬

20200113プラセボ  

 プラセボ(プラシーボ)という言葉をご存じですか?「偽薬」と訳され、「薬効のない薬」のことを言います。
 このプラセボを製造販売する会社、プラセボ製薬株式会社という会社があることを知りました。

 『文藝春秋』の新年号に「元製薬会社員の僕が『偽薬』を売る理由」という記事があり、この会社の創業者(多分)が書かれた文章が掲載されていました。

 薬効のない「偽薬」が通常どのように使われるのか、ということですが、新しい薬が開発されるときにその薬効を確認する段階(臨床試験)でこの「偽薬」が必要になります。
 新しい薬の薬効を確認するためには、その病気を抱えている患者さんに投与して薬の効果を確認するのですが、ややこしいのは、私たちは薬を飲むそのことだけで病状が改善したという効果(自覚効果だけでなく数値でも)を得ること(プラセボ効果と呼ばれています)があるということなのだそうです。そのため、患者さんを2つのグループに分けて、一つのグループには新しい薬を投与し、他のグループには同じ形の「偽薬」(なにも薬効がないもの)や同じ薬効を持っている在来の薬を投与して、両方のグループの間で有意な差(効果)が確認できるかという試験を行うことになっています。

 これまではここで偽薬が使われていたのですが、この会社は、偽薬をこの臨床試験用に販売するのではなく一般の医療用途に使ってもらおうとしているのだそうです。
 もちろん、臨床試験で「プラセボ効果を生じる得るから価値がある」としても使えるのですが、一般の医療に使うというのは、薬としての「効果がないからこその価値がある」ということなのだそうです。

 この後の方の利用場面として次のような事例が記されていました。
 認知症の患者さんで、定められた量の薬剤をすでに服用しているにもかかわらず、さらに何度も服薬を求める人がいるのだそうです。患者さんにとっては、「薬を飲むこと」そのもので安心感を得ることになるということなのですが、医師の方は用量を超えて投与することはできません。そこでやむを得ず、患者さんの要求に応えるために偽薬を投与する、といったケースが起こりえるということです。
 考えてみますと、認知症の患者さんでなくとも、私たちも同じように、医師から薬を処方されてそれを飲むとそれだけで安心するというような感覚になることがあるようです。睡眠薬を規定量与えても効果がない(と感じている)患者さんに偽薬を睡眠薬として与えると、そのことによって患者さんは安心して眠りやすくなる、といったような事例です。

 この偽薬の話しを読んでいて、ふとテレビ販売でたくさんの健康食品や飲料が宣伝されているのを思い浮かべておりました。
 『文藝春秋』の同じ号に、作家の塩野七生さんとオックスフォード大学医学博士の新見正則さんの「日本人よ、「健康神話」を棄てよ」という対談が掲載されていました。

 そこで言われていたのは、私たちは「健康病」にかかっている、ということです。とにかく健康でいたい、病気になりたくない、と考え、「健康のためなら死んでもいい」とまで本末転倒の状態に陥っている人もいるのだそうです。検診の数値が気になる、ちょっとした体の不調が気になる、そうすると、テレビが「こうすれば元気になれる」「あれを食べれば体調がよくなる」などと宣伝する文句が耳に入りつい手を出してしまう、ということになるのでしょうか。

 例えば、現代人は自分は睡眠が不足しているのではないか、という強迫観念にとらわれているのだそうです。その結果、市場には快眠枕、快眠布団、快眠衣から快眠薬、快眠ドリンク、快眠のためのエクササイズなどが登場し、これらの「睡眠ビジネス」は2兆円もの市場になっているのだと、新見さんは別の記事で言っていました。

 私たちの「健康でいたい」という願望に対して提供されるこれらの健康商品の中には、ひょっとしたら「偽薬」も紛れ込んでいるのかもしれないと、今回の記事を読んで思いました。本当は効果がないにも関わらず、飲んだだけで安心する、使ってほっとする、などのプラセボ効果を買っているのかもしれないなあ、ということです。
 もちろんそのことで心の安心を得ているのであれば、なにも外から文句を言う必要はない、とも言えまし、それが大きな市場になって雇用を作り出しているのですから、皆が「偽薬」ではないかと疑いだしたらその影響も大きいというところまで進んでいるとも言えます。

 ただ問題なのは、私たちが陥っている健康病(健康志向)は際限なく深まっていくのではないか、という点です。認知症の患者さんが規定量の薬を投与されてもまだ欲しいと求めるように、私たちの健康に対する不安は常に更新増幅されて常に新たな処方(商品)を求め続けるということにならないだろうか、と心配になります。
 健康、快適、清潔、安全は私たちにとって大切なものなのでしょうが、それにとりつかれてしまうという危険もあるということです。
 老いや病や死は、私たちがどうしても逃れることができないものだ、そこから逃げようとしてはいけない、とお釈迦さまは教えていただきました。その意味をもう一度考え直すことが必要だと思います。

(図は、同社の製品です)

 同社のサイトからお借りしました。この商品を紹介する言葉として次のように記されていました。
 「「プラセプラス」はプラセボ製薬が販売する本物の偽薬です。(中略)主として医療、介護、演技、教育などに用いられています。」 
 ほかのところでは、「人の為ニセモノだからできること」というキャッチフレーズもありました。「人の為」は「偽」を分解したのだそうです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

No title

興味深く拝読させて頂きました。「健康オタク」はテレビを見ていても感じます。番組内容も、「健康に関すること」か「知ってたらためになる」番組が多いですね。
病気で患うくらいなら、死んだほうがまし…と。核家族化現代の孤独な社会を現しているようですね。こんな現代だからこそ、仏法が弘まってほしいです。
カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR