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600.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (45):下巻第五段

 20191227熊野霊告2s   20191227熊野霊告s

 御絵伝は下巻第五段に入ります。4幅の御絵伝では4幅目の下から2番目の図(一番下の図の一部も含め)です。
 『御伝鈔』のこの段の書き出しです。実はこの段は『御伝鈔』の中でも最も長い段なのですが、その最初の部分に当たります。ご文と訳文を載せます。

  「聖人(親鸞)故郷に帰りて往事をおもふに、年々歳々(せいせい)夢のごとし、幻のごとし。長安・洛陽の棲(すみか)も跡をとどむるに懶(ものう)しとて、扶風(ふふう)馮翊(ふよく)ところどころに移住したまひき。五条西洞院(にしのとういん)わたり、これ一つの勝地なりとて、しばらく居を占めたまふ。このごろ、いにしへ口決(くけつ)を伝へ、面受(めんじゅ)をとげし門徒等、おのおの好(よしみ)を慕ひ、路(みち)を尋(たず)ねて参集(さんじゅう)したまひけり。」

 「親鸞聖人は、故郷の京都に帰って、昔のことをふりかえってみますと、歳月をすごしてきた跡が、夢か幻のようにおもわれるのでした。そしてその都でのお住居(すまい)も、一処(ひとところ)に定住するのも好まず、あるときは右京に、またあるときは左京にと、あちらこちらへお住居を移されました。その中では五条西洞院のあたりが気に入ったとのことで、しばらくそこに落ちついておられました。
 そのころ、むかし東国で、聖人のお教えを直接口伝えに受けた門徒たちが、めいめい昔のよしみをたよって、遠い道のりを尋ね尋ねて聖人のもとへやって来られました。」

 今回の下巻第五段は、後に出てきます平太郎という人物が東国から親鸞聖人を尋ねて都にこられたという逸話が記されています。本日の部分はその前段で、都に帰られた聖人のご様子が伝えられています。
 それによりますと、聖人は京都に戻られてからもあちらこちらに住まいを移されたようです。その中で、五条西洞院あたりが気に入られてしばらくその地に住まわれたと記されています。

 平松氏は、現在そのあたりに行ってみると「狭い道路をはさんで、小さな商店がひしめきあって軒をならべています。全くの下町の風景です。聖人の当時もやはりこんな様子だった、と思われます。」とされ、聖人がその地を「勝地」とされたということは、「聖人には風光明媚な景勝の地よりも、このような人間臭い所の方が『勝地』だったのかもしれません。」と興味深い理解をしておられます。

 前々回の御絵伝下巻第四段の中で、聖人が京都に戻られた理由について様々な見解があるということを学びました。その中で、平松氏は、関東の真宗教団が拡大安定してきたのでこれなら大丈夫だ、として聖人は都に戻ることを決意されたという見解を述べておられました。その理由として、今回の段にありますように、遠い関東からはるばる聖人を慕ってお弟子さんが京都に上っておられたように、親鸞聖人と関東のお弟子さんの絆は聖人帰洛後もいささかも変わることがなかった、という点を挙げておられます。

(図左は、自坊の御絵伝の下巻第四段の左部分、右は下巻第五段です)

 左では、聖人が関東から訪ねてきた平太郎に面談しておられる場面、右は次回以降に記される逸話が描かれています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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