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587.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (41):下巻補(3)

20191108交名牒 (2)

 前回は、親鸞聖人が関東におられた頃の門弟の方々がどのような人々だったのかということについて学びましたが、今回は、この門弟方についてもう少し具体的に学びたいと思います。
 いずれも『御絵伝』では触れられていないことです。

 『親鸞聖人門侶交名牒(しんらんしょうにんもんりょきょうみょうちょう)』という書があります。親鸞聖人の面授の(直接教えを受けた)門弟方の名前や所在地を列記したものなのですが、この内容によって聖人のお弟子さんの数や師弟関係を知ることができます。

 この書によりますと地域別の門弟の数は、つぎのようになります。(笠原一男氏の『親鸞と東国農民』を引用させていただきました)
  常陸国(現在の茨城県の大部分です)19人
  下野国(栃木県)5人
  下総国(現在の千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東辺部、東京都東辺部)4人
  陸奥国(現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)6人
  武蔵国(東京都、埼玉県、神奈川県の一部)1人
  越後国(新潟県)1人
  京都8人
 他に4人の孫弟子があり、総勢は48名となっています。
 (こうして見ますと、聖人がおられた常陸国に面授の門弟が多かったことが分かります。また、越後国の門弟が一人だけというところから、聖人は越後国では積極的な布教活動をしておられなかったのではないかとする見方もあるようです)

 これらの面授の有力な門弟方はさらに自身の門弟(聖人から見ると孫弟子に当たります)を持つようになり、それらの門弟を中心にして多くの信者(門徒さん)が集っていたと考えられています。笠原一男氏は、その信者のすべての数は万をはるかに上まわるだろうとされています。
 そしてこれらの直接、間接の門弟方はそれぞれの在所に自身の道場を構えていました。多数の信者はその道場でみ教えを聞くことにより、地域の門徒集団を形成していきます。

 このように道場を中心にしてまとまった集団は、高田門徒、横曽根門徒、鹿島門徒などと呼ばれる有力な集団を形成することになりました。
 聖人の直弟子の真仏師を中心として高田(栃木県真岡市高田)の地に形成された高田門徒は、その後本山を三重県に設けて現在の真宗高田派へとつながり、横曽根門徒は親鸞聖人の直弟子性信師を中心として横曽根(茨城県常総市横曽根)の地で形成され、後の真宗木辺派の系統につながることとなります。鹿島門徒は、現在の鹿島神宮である常陸国鹿島明神の大宮司の子息で、親鸞聖人の直弟子となった順信師を中心に鹿島(茨城県鹿嶋市)に形成された門徒集団でした。
 
 これらの門徒集団の形成は、一面では親鸞聖人のみ教えを広げ、聖人の支援を行うについて大きな力となったものと思われます。その一方で、集団の中心になった門弟はその信者を自分の弟子と考えるようになり、集団と集団との間では、互いに競い合い、時には信者を奪い合うというような動きにつながったこともあったようです。親鸞聖人が関東におられた頃には、聖人の周辺でこのような環境が形成されつつあったということになります。

(図は『親鸞聖人門侶交名牒』の一部です。真仏、性信、順信など門徒集団の中心となった方々の名前を見ることができます。)

 この写真は、笠原一男氏の『親鸞と東国農民』よりお借りしました。 

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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