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584.歴史を訪ねる(23):長島願証寺(2)

20191028長島地図  20191028長島地図2  20191028長島地図3

 10月21日~23日に実施されました念仏奉仕団の本山での奉仕活動は22日の午前中で終わりました。
 昼食を摂った後、参加者一同はバスで三重県方面に向かい、桑名市長島町の「なばなの里」でベゴニアガーデンを見学の後「ガーデンホテルオリーブ」に宿泊しました。

 翌23日には、同じ長島町にあります浄土真宗本願寺派の願証寺さんにお参りしました。この願証寺さんは、このブログでも取り上げました長島一向一揆の拠点となったお寺です。もともとあった願証寺さんはこの一揆の敗北によって破却されましたが、その後現在地に再建されました。

 当日はご住職にバスまで迎えに来ていただき、ご案内をいただきました。
 このブログでご報告していましたように、長島一向一揆と願証寺さんについては今回の念仏奉仕団の「しおり」を作成した際に資料をまとめる機会がありましたので、概要については理解をしているつもりでおりました。しかし、実際にその戦いが行われた地に立ってみると、単なる知識だけでは及ぶことができない実感をもって当時のことを感じることができたように思います。

 ご住職から、一揆の当時使われていたという一本の槍を見せていただきました。手に取ってみるとズシリと手ごたえを感じるものでしたが、これは当時織田信長の軍勢が使っていたものと比較すると非常に短いものだったのだそうです。長島の地で行われる戦ですから、長い槍では生え茂った芦などの中では動きがとれないということになります。同じように足元がぬかるんだ地では、重い甲冑などで足をとられて動きがとれず信長勢は苦労した、などこの地形を生かした戦い方で信長勢に抵抗した様子を聞かせていただきました。
 当日いただいた資料にも、一揆勢は長島の輪中(集落を洪水から守るための堤防に囲まれた地域のことです)地帯の地形を生かして、信長軍をいったん輪中の中に引き入れて夜陰にまぎれて堤防を切り濁流の中に閉じ込める、といったゲリラ戦法を用いたことが記されていました。

  当日、宿から願証寺さんに向かう途中に、稲刈りが終わった田に水が「張ってある」ように見えるところがたくさんありました。これから耕作するために水を張ったのだろうか、と話しながらバスで移動したのですが、後でお聞きしたら以前の雨の水がまだ引かずに残っているということでした。海抜とほぼ同じ高さの地ですから、このような困難も抱えているということを知りました。
 長島全体を囲っていると思われる堤防が遠くに見え、輪中の間の利益の相克、同じ輪中の中での上流と下流の争いなどがあったという情報もあり、この地区が海抜ゼロメートル地帯にあって押し寄せる水と戦いながら、あるいは折り合いをつけながら存在してきたのだということを感じることができました。

 願証寺さんはまじかに住職継職の法要を控えておられ、本堂も工事中という慌ただしい中で、貴重なお時間を割いていただきました。ユーモア溢れるお話しも交えて印象に残るひと時をいただきました。厚くお礼申し上げます。

(写真左2枚は当日本堂に置かれていた地図、右は当日いただいた資料の一部です)

 左の2枚はいつの時代の地図なのかよく分かりませんでしたが、時代によって島の姿が変わっていることが分かります。あるいは、洪水が発生するたびに島の姿が変わるくらいに水の力が大きかったのかもしれません。

 右は「信長と長島一向一揆」というタイトルの資料で、長島町から発行されたものです。
 今回「しおり」に使いたいと思って、ネットで「長島」「地図」をキーワードに検索して見つけた地図は、この地図だったようです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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