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578.団体参拝の「しおり」

20191007しおり

 10月4日万福寺さんで、念仏奉仕団の「しおり」の編集打ち合わせが開催されました。この「しおり」は、7月10日に開催された若僧会で、奉仕団参加の皆さんにお配りしようと準備を進めることになったものです。
 私は「若僧」会のメンバーではないのですが、7月の打ち合わせに参加していたことから記事の一部の作成を担当することになっていました。

 10月4日には、「組長挨拶」および6名のメンバーが作成した原稿をまとめた「しおり」の原案について、意見交換を行い、その結果により最終印刷にかかることとなりました。

 そのうち私の担当は「長島一向一揆と願証寺」の項です。このブログにも掲載しましたように「一向一揆」「長島一向一揆」「願証寺」について情報を集めましたので、それをもとにして「しおり」用には次の原稿を作成しました。(文字数が300字程度ということになっていましたので、情報の要約版となりました。)

「戦国時代、15世紀中頃から16世紀終わりにかけて本願寺門徒を中心に、各地の領主層との間で戦われた戦(いくさ)は一向一揆と呼ばれています。1570年、本願寺の第11代宗主顕如上人は織田信長の圧迫に対抗して兵を挙げられ(石山戦争と呼ばれています)、これに呼応する形で長島の地に起こったのが長島一向一揆です。
 一揆は長島(当時は木曽川などの河口の七つの島でした)の願証寺の門徒を主体に信長に対抗する武士勢力も加わり熾烈な戦いとなりましたが、一揆勢は次第に劣勢となり1574年多くの犠牲者を出して戦いは終焉を迎えました。現在の願証寺はその後再建されたものですが、境内には「長島一向一揆殉教之碑」が建てられています。」

 記事には、写真あるいは図を1枚添えることになっていて、ブログで使用した室町時代の長島(七島)周辺の地図を使うことにしました。桑名市にいる知人に「しおり」に使おうと願証寺の写真を撮ってもらったのですが、考えてみると願証寺は参拝した時に見ることができますので、「しおり」には写真ではなく当時の地図を使用することにしました。(撮ってもらった願証寺の写真はブログの記事に使わせていただきました)

 当日メンバーとの雑談の中で次のような話がでました。

 その一つは、ネットを通じて印刷を手軽にかつ安く外部に依頼することができるようになっているということです。以前ご紹介しました、年に1回発行される宇部北組の組報「ご縁だより」も外部に印刷を注文しています。
 寺の新聞「壽福寺だより」はインクジェットプリンターを使って自分で印刷をしていますが、インクの価格も結構高く、外部に印刷を依頼することも検討してみたいと思います。勿論発行部数との関係で割高になる可能性もありますので比較検討が必要ですが。
 これも話題に上ったのですが、このようなインターネットを介して印刷の注文を受けるという方法は、いわゆる「街の印刷屋」に対しては大きな脅威になります。ちょうど大型書店が増えたことにより、「街の本屋」がなくなっていったのと同じ現象が起こっているようです。便利さと街の「財産」を残すこと、そのバランスをどのようにとっていくのか、という同じ課題が見えるように思います。

 もう一つ、これは当日のメンバーの一人も言っていたのですが、今回のように一つのことを担当することで新しく勉強するきっかけになるということです。
 今回私は長島一向一揆を担当しましたが、このことがなければこの一揆についても「そんなことがあったなあ」と名前を知っている程度で終わっていたように思います。記事を担当することになって情報を集めてみると、その背景も含めて新しい事実を知り違った見方ができるようになりました。このように学ぶ機会はどこにでもあるものだと、改めて思ったところです。
 
(図は、担当した「長島一向一揆と願証寺」(27ページ)の部分です。)
 全体31ページの中には、お晨朝(拝読するお経や御文章など)に関する説明や大谷本廟、本願寺(御影堂などの建造物)についての情報を中心にして2日目以降に訪問、参拝する場所や寺院に関する情報などが集められています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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