FC2ブログ

563.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (36):下巻第二段(3)

IMG_4030 (2)1 
 
    少し間があきましたが「御絵伝」に戻り、下巻第二段の後半です。
 『御伝鈔』の御文と現代語訳です。

 幽棲(ゆうせい)を占(し)むといへども道俗あとをたづね、蓬戸(ほうこ)を閉(と)づといへども貴賤ちまたにあふる。仏法弘通(ぐずう)の本懐(ほんがい)ここに成就し、衆生利益の宿念たちまちに満足す。このとき聖人仰せられてのたまはく、「救世菩薩の告命(ごうみょう)を受けしいにしへの夢、すでにいま符合せり」と。

 (すると、ひっそりとかくれて住むつもりで庵室の戸も閉じていたのですが、僧尼や一般在家の人びとがつぎつぎとやってきて、門前は民衆でいっぱいになりました。仏法を社会に弘め、民衆を救済したいという聖人のかねてからの念願は、こうして達成されたのでした。そのとき聖人は、「青年のころ、京都六角堂の救世観音さまから聞かされた夢のお告げとピッタリだね」とつくづくおっしゃったことでした。)


 下巻第二段の前半では、聖人が越後国を出られ常陸国の笠間郡稲田郷に隠居されたと記されていました。
 今回の部分では、その稲田郷での様子が記されます。それによりますと、聖人の草庵にはその教えを聞きたいと多くの人びとが押し寄せるように来られたとされます。道俗(僧侶もそうでない人も)、貴賤(身分の高い低い)様々な人びと、もちろん男女も問わずに聖人の教えに耳を傾けたことが想像されます。

 親鸞聖人は、その様子を、若い頃京都の六角堂で救世観音から受けた夢告と「ピッタリだね」(この現代語訳は平松氏の訳によります)と仰ったということが記されます。
 この六角堂で聖人が受けられた夢告というのは、御絵伝上巻第三段で学びましたように、聖人が29歳の時に京都の六角堂に百日間参籠された際に受けられた夢告のことです。
 その95日目に聖人の夢の中に救世観音があらわれて、「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽(前からのいろいろな縁によって妻帯をするようなことになった場合は、私(救世観音)が玉のような女の姿になって、つれそってあげよう。そして一生の間よくおごそかに飾ってあげて、臨終になったら極楽へつれて行ってあげよう。)」という言葉とともに「これは私が人びとを救おうと願って立てた誓いなのだ。善信よ、お前はこの誓いの趣旨を説明して、あまねく一切の衆生に聞かせなさい」と告げられました。親鸞聖人は、東の方向に多くの人びとがいることに気づき、その救世観音のお言葉の趣旨をこの人びとに説こうと思ったところで目覚められた、という逸話です。

 この夢告を受けて親鸞聖人は直ちに法然聖人の許を訪ねられたように、親鸞聖人にとっては大変に重要な出来事でした。聖人は稲田の草庵の様子を、六角堂での救世観音の夢告の体験に重ねられたのです。
(図は、稲田の草庵を描いた伝絵で、東本願寺に伝えられているものです)

 この東本願寺本と呼ばれている伝絵は、康永2年(1343年)に制作されたものといわれています。覚如上人が最初に伝絵を制作されたのが永仁3年(1295年)親鸞聖人が亡くなられてから33年後、覚如上人26歳の時ですから、それ以来48年を経ての制作でした。当初の伝絵にはこの稲田の草庵の様子を描いた図は入っていなかったのですが、この東本願寺本には加えられていて、これがその後の御絵伝の基本になったとされているものです。

 茅葺と見られる建物の右奥に見えるのが親鸞聖人です。縁側や庭、門前に様々な人が集まってきているのが見え、まさに道俗、貴賤、男女が溢れるように集う様子が描かれています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR