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558.歴史を訪ねる(19):大内氏歴史文化研究会(3)「京都の祇園祭と山口の祇園祭」

20190729講演会案内   20190729鷺舞人形s

 7月20日、山口県立図書館で「大内氏歴史文化研究会」の講演会「京都の祇園祭と山口の祇園祭」が開催され、聴講することができました。この講演会は以前ご報告しました「大内義隆の遷都計画」に次いで「大内氏遺跡指定60周年記念事業」の一環として催されたものです。

 講師は奈良大学教授の河内将芳氏で、京都と山口の祇園祭についてその関連や、その後の展開などについてお話を聞くことができました。
 後で気づいたことなのですが、7月20日は山口の祇園祭の初日「御神幸」の日に当たっていました。その講演を聞いた後で実際に山口の祇園祭を見ることができるという配慮の行き届いた企画になっていて、私も当日「鷺(さぎ)の舞」を見学することができました。
 今回はこの講演の内容についてご報告します。

 山口の祇園祭は、八坂神社の祭礼として7月20日から27日にかけて催されるものです。社伝によりますと山口の八坂神社は、応安2年(1369年)に都の文化に深い憧憬の念を持っていた大内弘世公が京都の八坂神社から勧請(かんじょう)して建立されたものとされています。
 その後、京都の八坂神社の祭礼である祇園会(祇園祭)も山口八坂神社で執り行われることとなりました。その開始の時期について、講演会の資料では長禄3年(1459年)大内教弘公の時代だとされていましたので、神社建立から約90年後ということになります。

 山口の祇園祭の中に「鷺の舞」という舞を奉納する神事があります。祭の初日7月20日に舞われる舞なのですが、その舞がいつ頃山口に伝わったのか、その後どのような展開があったのか、というお話しも聞くことができました。

 この「鷺の舞」は鷺の衣装を着けた踊り手2人が囃子に合わせて舞います。これも京都から導入された神事なのですが、この舞の山口伝来については、八坂神社勧請と同時期に伝わったとする説がある一方、永正17年(1520年)の記録ではこの鷺の舞について記載がないところから、山口で行われるようになったのはそれよりも後のことだとする説があるようです。後者の説によりますと、天正11年(1583年)には舞に関する記録があるところから、この約60年の間に始まったと考えられるているようです。
 本家の京都八坂神社の祇園会は応仁元年(1467年)以降応仁の乱の影響により中止されていて、明応9年(1500年)に33年ぶりに再興されたというお話しがありました。しかし鷺舞の方は、その後絢爛豪華になっていった山鉾や傘鉾の中で影が薄くなって江戸時代中期には廃絶状態になり、ようやく近年になって再興されたということです。
 また島根県津和野でも鷺舞が行われています。これは津和野の弥栄(やさか)神社の祭礼で奉納されるものですが、その起源は天文11年(1542年)に時の城主吉見大蔵正頼公が山口の大内義興公の息女を迎え入れたことにより、津和野に伝わったものだとされています。こちらもその後一時廃絶となったものの、江戸時代初期に再興され、現代では鷺舞といえば津和野というようにその名が広がっています。
 この他に、東京浅草浅草寺や神奈川県、福島県の神社でも鷺舞が奉納されているという情報がありますが、いずれも中断したものを再興したものとされています。

 津和野の鷺舞を見たことはないのですが、山口の鷺の舞は津和野のものと比較すると簡素なもののようです。しかし、このように見てみますと、鷺舞は京都に始まって山口に伝わったのですが、京都でも廃絶、山口から伝わった津和野も一時中断されていたということで、山口の鷺の舞が最も古い形を引き継いでいるのではないかというコメントもされていました。

 当日、講演会の後に山口の鷺舞を見ることができましたので、これについてはもう一度取り上げたいと考えています。
 
(左の図は講演会の案内、右の写真は津和野の鷺舞をかたどった人形です)

 右の人形は、もう40年前になりますが、津和野に行った際に気に入って購入したものです。スマートな木彫りに厚手の和紙で作られた羽と袴が鮮やかなもので、小さな土産物店においてありました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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