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557.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (35):下巻第二段(2)

20190726下巻第二段八嶋s

 御絵伝下巻第二段の第2回目になります。

 親鸞聖人が越後を離れ常陸国に向かわれる途中の逸話が伝わっています。覚如上人が著された『御伝鈔』では触れられていませんが、聖人の奥様の恵信尼公が記された『恵信尼消息』に取り上げられた逸話です。
 
 この『恵信尼消息』は、越後に戻っておられた恵信尼公が親鸞聖人が亡くなられた後に、京都におられる娘の覚信尼公に送られた8通の便りを指します。恵信尼公は聖人のことを懐かしく回想されますが、すでに学びましたように、公はその中で親鸞聖人が比叡山で堂僧として修行をされていたことを記されていました。比叡山時代の聖人のことは、この消息が発見されて初めて知られるようになったとされますように、『恵信尼消息』は聖人のご生涯や聖人と恵信尼公の関わりについて多くのことをお伝えいただく資料でもあります。

 その『恵信尼消息』の中に、越後から関東に向かわれる途中のことと思われる次の一文があります。

 三部経、げにげにしく千部よまんと候ひしことは、信蓮房の四つの歳、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申すところにて、よみはじめて、四五日ばかりありて、思ひかへして、よませたまはで、常陸へはおはしまして候ひしなり。

(浄土三部経を心を込めて千回読もうとされたのは、 信蓮房が4歳の時で、 武蔵の国か上野の国か、佐貫というところで読み始めて、 四、 五日ほどして思い直し、 読むのをやめて常陸の国へ行かれたのです。)


 ここで、恵信尼公は佐貫(さぬき)というところで起きたことを記されています。その時親鸞聖人は浄土三部経を千回読もうと思い立たれます。その前に記されている文によりますと、聖人は「すざうりやくのためにとて(衆生利益のために)」読み始められたのですが、4、5日して思いなおして読むことをやめて常陸国に向かわれた、と恵信尼公は記されています。

 この文によって、親鸞聖人は佐貫(現在の群馬県明和村にある佐貫だろうとされています)という場所を経由して常陸国に向かわれたことが分かります。『恵信尼消息』のこの一文によって聖人が常陸国に向かわれた経路が分かるのですが、そのことと併せて私たちは、聖人が一度は始められた三部経の千回読誦をやめられたこと、そしてなぜそうされたのか、ということについて聞かせていただくことが大切だと思います。

 同じご消息には、恵信尼公が、寛喜3年(1231年)に親鸞聖人がひどい風邪をひかれたことと、その時の親鸞聖人とのやり取りを記されたものがあります。その中で聖人は17,8年前(建保2年=1214年頃)に経験されたことを話され、それを受けて恵信尼公が記されたのがこの一文です。
 親鸞聖人は風邪をひいて苦しい中『無量寿経』を絶え間なく読んでいたのだと恵信尼公に言われます。しかし、そのことで聖人はかつて三部経を千回読もうと始められ、思いなおして中止されたことを思い起されます。恵信尼公は聖人のお言葉を次のように伝えられます。

 みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、まことの仏恩を報ひたてまつるものと信じながら、名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず経をよまんとするやと、思ひかへして、よまざりしことの、さればなほもすこし残るところのありけるや。人の執心、自力のしんは、よくよく思慮あるべしとおもひなしてのちは経よむことはとどまりぬ。

 (自ら信じ、 そして人に教えて信じさせることが、 まことに仏の恩に報いることになると信じていながら、 名号を称えることの他に何の不足があって、 わざわざ経典を読もうとしたのかと、 思い直して読むのをやめました。今でも少しそのような思いが残っていたのでしょうか。 人が持つ執着の心、自力の心は、 よくよく考えて気をつけなければならないと思った後は、 経典を読むことはなくなりました。

 聖人の師である法然聖人は称名だけが正定業(衆生の往生が決定する行業)だとされたのですが、三部経の千回読誦を始められた親鸞聖人は、名号を称える他になにの不足があって読経を行おうとしたのか、と思い返されて読誦を中止されたのです。
 このように法然聖人に帰依されてから13年佐貫の地でそのことに気づかれたのですが、その後17年、病による夢うつつの中で『無量寿経』の経文が口に出で、文字が目に浮かんだということを述べられました。聖人は私たちに、衆生を救済するという目的であれ自分が読経しそれを実現したいという自力の思いが、逃れ難くも強く私たちを取り込んでいるのだということを、ご自身の体験として示していただきました。
 
(図は、専修寺本の伝絵です)
 
 図の右に「国分寺也」とあるのは下野(しもつけ)の国分寺のことではないかとされています。また、左に「下野国むろのやしまのありあさまなり」と注記がありますのが、これは、風光明美で知られた「室の八嶋」のことだとされていますので、この水は海ではないことになります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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