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543.山口教区門徒総代会全体会

20190607大來氏 (2) 

 6月3日、山口別院で山口教区門徒総代会全体会が開催され、井上啓志さん、岩﨑明さんと出席しました。

 当日は次の内容で開催されました。

1.開会式
2.総会
3.講話
 午前:「身近な仏教~何気ない日本語を振り返る」(大來尚順氏)
 午後:「子ども達を育むために(重点プロジェクトについて)」(荻隆宣氏)
4.閉会式

 〇総会では、2018年度の活動報告、決算報告、会計監査報告および2019年度の活動方針、予算について報告が行われました。
 その中で、久保会長は「総代は聞法のリーダーとして活動しなければならない。住職から『ご門徒に育てられた』と言われるような門徒・総代になろう」と決意を述べられました。私たちも思いを新たにしなければならないことです。

 〇午前中のご講師の大來氏については、『訳せない日本語 日本人の言葉と心』(以前このブログでも取り上げました)の著書として知っていましたが、直接お話しをお聞きするのは初めてでした。
 大來氏はレジュメで、「いただきます」「おかげさまで」「すみません」「どっこいしょ」「いってきます」という私たちが日常的に使う言葉を、身近な言葉だけど「大切な言葉」、そして英語に翻訳しにくい言葉として取り上げ、その中に込められた仏教の教えについて話をされました。
 
 その中で、「すみません」という日本語の意味の深さを改めて感じました。
 この言葉は訳しにくいだけでなく、「謝罪」と「感謝」と「依頼(呼びかけ)」の3つの意味を持った言葉だとされます。そしてその3つに共通して流れているのは「済みません」「澄みません」、「申し訳ない」という思いで、迷惑をかけててしまう自分自身に向かう内省、自責に向かうものだと言われます。氏は、このことは物事の結果を他者に求めない仏教の教えに通じるものだとされます。
 お釈迦さまが亡くなられる前にお弟子さんが「これから何をよりどころにしたらよいのでしょうか」と問われたことに対して、「自灯明」「法灯明」ということを説かれたと伝えられますが、「人に頼るのではなく、自らをよりどころにしなさい。法(真実の教え)をよりどころにしなさい」という教えです。大來氏は、この言葉の根底には、責任を他に求めず自分に引き受ける、という姿勢があるとされます。
 私たちは様々な場面で、不都合の原因、うまく行かなかった原因を他に押し付けて、自分は逃れようとしてしまいがちです。いろいろな言い訳をして、「すみません」とひとこと言って終わらせよう、などということもあります。しかし、この「すみません」という言葉が、自分が逃げずに引き受けることだということを思えば、それこそ、ひとことの「すみません」では済みませんゾ、ということになります。
 
 仏教用語は私たちの日常用語にたくさん入っていて、それは気づかないうちに私たちの行動や思考の中に入っていると考えられます。しかし、大來氏が言われるように、掌を極端に目に近づけると皺が見えなくなるように、私たちには近すぎてそのことが見えなくなっているということはよく分かります。
 私たちが気づかないうちに私たちの行動のバックボーンになっていたもの、仏教的な考え方が、これからも私たちの大切なよりどころとして残るのかどうかが問われている時代なのだと思います。難しい時代にさしかかっていると、改めて自身を見なおさなければならないと思います。

(写真は大來氏です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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