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536.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (28):上巻第八段(3)

20190513第八段西本願寺本s  20190513鏡御影

 「御絵伝」の第八段の3回目となります。『御伝鈔』の御文と訳文です。

 「つらつらこの奇瑞(きずい)をおもふに、聖人(親鸞)、弥陀如来の来現(らいげん)といふこと炳焉(へいえん)なり。しかればすなはち、弘通(ぐずう)したまふ教行、おそらくは弥陀の直説(じきせつ)といひつべし。あきらかに無漏(むろ)の慧灯(えとう)をかかげて、とほく濁世(じょくせ)の迷闇(めいあん)を晴らし、あまねく甘露の法雨をそそぎて、はるかに枯渇の凡惑(ぼんわく)を潤(うるお)さんがためなりと。仰(あお)ぐべし、信ずべし。 」

 「つくづくとこの不思議なできごとを考えてみますと、親鸞聖人が阿弥陀如来の化身(けしん)であることはもう明らかです。ですから、聖人が弘められた教えは、阿弥陀如来の直接のお説法と言うことができましょう。濁り汚れのない智慧の灯火(ともしび)をはっきりとかかげて、欲望に汚染されたこの世の暗闇を遠いところまで照らし、すべての人びとの上に甘露のような法の雨を降りそそぎ、涸れ果てて死にそうになった凡夫に潤いを与えるものです。聖人の教えを仰ぎ信じましょう。」


 「伝絵」の制作者である覚如上人は、今回の部分で、これまでの出来事から親鸞聖人が阿弥陀如来の化身だということは間違いないことだとされ、聖人のみ教えを仰ぎ信じようと呼びかけられます。
 この第八段で「御絵伝」の上巻(ニ幅)は終わりとなります。

 3回にわたって学んできました「入西鑑察」の段ですが、この段については興味深いことが伝えられています。

 その一つは、伝えられている「伝絵」にはこの「入西鑑察」の段が入っているものと入っていないものがあるということです。
 前回掲載しましたように西本願寺本にはこの「入西鑑察の段」が入っているのですが、高田派専修寺に伝えられている専修寺本にはこの段が入っていないのだそうです。
 このことにより元々入っていなかった専修寺本の成立が古く西本願寺本はその後でこの段が追加されたのだ、という説や、専修寺本にもこの段が入っていたが、何らかの理由で除かれたとする説などがあるということです。

 また、その西本願寺本に入っているこの段は、覚如上人が最初に制作された「伝絵」では入っておらず、後から追加されたものだとされているようです。
 それは、今回載せました図で見えるように、前の「信心諍論」の段の絵の終わりの部分、上部の霞が尾を引いているところから次の詞書がもう始まっていることで示されているとされます。他の部分ではこのようなことはなくて、このことにより西本願寺本の「入西鑑察」の段は後で追加されたというのが定説になっているということです。
 「伝絵」全体の流れを見てみますと、西本願寺本はこれまでは時代の推移に従って記述されていました。しかし、ここでは親鸞聖人70歳の出来事である「入西鑑察」の段が突然に加えられているということになります。なぜこの場所に挿入されたのか、ということについては諸説があって、まだ定まっていないようです。

 さらに、この時に描かれた聖人の肖像はどのようなものだったのか、ということも論議されているということです。といいますのは、この段に記されたような聖人のお顔だけを描いた肖像は現在まで見つかっていないからです。
 このことについて、平松令三氏は西本願寺本の詞書の定禅法橋の夢について、次のような記述(『御伝鈔』ではこの部分は省かれています)があることを指摘しておられます。
 「定禅問云、如何可奉写、本願御房答云、顔ばかりを可写、ことごとくは予可染筆也、と云々」
 (定禅がどのように描きましょうかと問うたところ、本願御房は顔だけを描いてもらいたい、あとは自分が描くから、と言われた)
 このことから、平松氏は、この時聖人のお姿を描いた肖像と、本願寺に伝わる親鸞聖人の肖像画「鏡御影(かがみのごえい)」とが関連があるのではないか、という説もあったと紹介されています。
 この「鏡御影」は肖像画として大変優れたものと評価され国宝に指定されています。聖人のお顔の部分は繊細に描かれているのですが、着衣などは素描風の違ったタッチで描かれていて、別の人が描いたのではないかとされています。そんなことからこの「鏡御影」が第八段の聖人の肖像画だとする説もあったとされています。ただ、同じ覚如上人の自筆で、この「鏡御影」は似絵画家の専阿弥陀仏という人が描いた像だとされていることもあって、これもまだ定まっていないようです。

 覚如上人が最初に「伝絵」を制作されたのは、親鸞聖人が亡くなられてから33年後の1295年のことだったとされます。その後上人は「伝絵」に改定を加えられ、1343年(最初の「伝絵」制作から48年が経過しています)に制作された「伝絵」がいわば最終版として、現在私たちが見ることのできる『御絵伝』の姿となったとされています。
 「伝絵」を拝見していますと、上記のような議論を含めてその成り立ちや由来に興味が移ってしまいがちですが、覚如上人が「伝絵」を制作され、様々な改定を加えられましたのは、専ら親鸞聖人のみ教えとご遺徳とを広く伝え、本願寺の由来について知らせたいと願われたことによります。このようなご苦労のおかげで、親鸞聖人のご生涯が『御絵伝』、『御伝鈔』の形となって現在の私たちに届けられていることを思い起したいと思います。

(図の左は「伝絵」本願寺本、右は「鏡御影」です)

 「伝絵」は「信心諍論」の段の末尾とそれに続く「入西鑑察」の段の詞書が始まる部分で、「入西鑑察」の部分が後で追加されたとされる部分です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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