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532.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (27):上巻第八段(2)

20190429第八段西本願寺本


 前回は、親鸞聖人のご絵像を描くために招かれた絵師の定禅法橋が自分が見た夢について語り始めました。今回はその内容です。

 貴僧二人来入(らいじゅう)す。一人の僧のたまはく、「この化僧(けそう)の真影(しんねい)を写さしめんとおもふこころざしあり。ねがはくは禅下(ぜんか)筆をくだすべし」と。定禅問ひていはく、「かの化僧たれびとぞや。」件(くだん)の僧のいはく、「善光寺の本願の御房(おんぼう)これなり」と。ここに定禅掌(たなごころ)を合せ跪(ひざまず)きて、夢のうちにおもふやう、さては生身(しょうじん)の弥陀如来にこそと、身の毛よだちて恭敬(くぎょう)尊重(そんじゅう)をいたす。また、「御ぐしばかりを写されんに足(た)りぬべし」と云々。かくのごとく問答往復して夢さめをはりぬ。しかるにいまこの貴坊にまゐりてみたてまつる尊容(そんよう)、夢のうちの聖僧(しょうそう)にすこしもたがはずとて、随喜のあまり涙を流す。しかれば「夢にまかすべし」とて、いまも御ぐしばかりを写したてまつりけり。夢想は仁治三年九月二十日の夜なり。

 その夢では、尊いお坊さんが二人来訪されました。その一人が言われるには、「この方は仏さまの仮のお姿です。この方の肖像を描いてもらいたいと思います。できたら貴方に筆をとって描いていただきたいのですが、どうでしょう。」そこで私、定禅がお尋ねしました。「仏さまの仮の姿だと言われましたが、この方は誰方ですか。」するとそのお坊さんが「この方は長野善光寺の本願の御房です」と申されました。それを聞いて私は夢の中でひざまずいて合掌しながら、「かねてから善光寺の阿弥陀仏は『生身の弥陀如来』だと聞いていたが、さてはその阿弥陀様に会うことができたんだな」と思い、身の毛よだつ感じがして、心からおうやまいし、拝礼しました。すると「お顔だけを描いてもらえばいいのですよ」とも言われました。そんな会話があって夢がさめたのですが、いまここへおうかがいしてお眼にかかったこのお姿は、夢の中に出て来られた偉いお坊さんとすこしも変わりません。
 と言って涙を流して喜ぶのでした。それでは「夢の通りにしましょう」ということになり、ここでもお顔だけが描かれました。この定禅の夢は、親鸞聖人七十歳の仁治三年(1242年)九月二十日の夜のことでした。


 定禅法橋は、夢の中で訪ねてきた尊い僧侶が「善光寺の本願の御房」だと告げられて「身の毛もよだつほど」感激します。そしてその日、親鸞聖人の御前にうかがったところ、聖人のお姿がこの「善光寺の本願の御房」とされた僧と全く変わらないことに歓喜し涙を流したと、記されています。
 平松令三氏は、「善光寺の本願の御房」とは善光寺を創建した僧侶のことで、善光寺の如来は「生身の阿弥陀如来」だと言い伝えられ広く信仰を集めていたことから、定禅法橋は自分が見た夢とあわせて、前におられる親鸞聖人を阿弥陀如来の化身だと涙を流して喜んだのだとされます。覚如上人はこの逸話を記され、親鸞聖人が阿弥陀如来の救いのお力を私たちにお伝えいただいた方で、阿弥陀如来の化身ともされるべき方なのだと示されました。
 
(図は、西本願寺本の「伝絵」です。左奥に親鸞聖人、右手前に定禅法橋が描かれています。)

 前回の自坊の御絵伝(多くの寺院が所持している御絵伝も)には、聖人が入西房に絵像の制作を許される場面がありましたが、西本願寺本にはその場面はありません。また、西本願寺本の聖人は首に帽子(もうす)という白い首巻を着けておられますが、自坊の第八段の聖人は着けておられないなどの違いもあります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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