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524.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (25):上巻第七段(3)

20190401第七段専修寺本

 久し振りの『御絵伝』になりますが、引き続き上巻第七段について学びたいと思います。上巻第七段に当たる『御伝鈔』の御文は、前2回で取り上げた部分で終わりなのですが、今回はこの第七段に記された論争についてもう一度振り返ります。

 1つ前の第六段は「信行両座」の段でした。
 法然聖人のお弟子さんの間で、往生の因は信心なのか、念仏の行なのかという論争があって、親鸞聖人ほか少数のお弟子さんが信不退(信心によって不退転の位に達するとする)の立場につかれ、法然聖人もこれを支持されたという出来事です。
 実は、この出来事が本当にあったことなのか、という点について疑問が呈されたことがあったそうです。赤松俊秀氏は『人物叢書 親鸞』の中で、この「信行両座」について「それを直接裏書する確かな資料がなく、事実であったかどうか、少し疑念が持たれる」とされながら、当時、法然聖人のお弟子さんの間で「一念義、多念義」の論争があったことを紹介され、「その論争を反映していると解してよい。」とされています。
 平松令三氏も、赤松氏の見解を受けて「これが『御伝鈔』制作当時に行われていた伝承であることはまちがいないとして、その伝承が事実にもとづくものか否か、という点が、どうとも結論が出ないのです。」とされています。

 一方、今回の第七段「信心諍論」ですが、親鸞聖人のお弟子さんであった唯円房が著された『歎異抄』の「後序」と呼ばれる部分に、全く同じ出来事が次のような書き出しで記されています。

 「故聖人の御物語に、法然聖人の御時、御弟子そのかずおはしけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞、御同朋の御中にして御相論のこと候ひけり。」

 (今は亡き親鸞聖人からこのようなお話をうかがったことがあります。法然上人がおいでになったころ、そのお弟子は大勢おいでになりましたが、法然上人と同じく真実の信心をいただかれている方は少ししかおられなかったのでしょう。あるとき、親鸞聖人と同門のお弟子がたとの間で、信心をめぐって論じあわれたことがありました。)


 このことからも、今回の第七段「信心諍論」は実際にあったことだと考えられます。

 また、赤松氏は、よく似た逸話が、法然聖人のご生涯を描いた『法然上人行状絵図』に「阿波介の申す念仏」として記されているとされる増谷文雄氏の見解を引用されています。
 それは、法然上人が聖光房というお弟子さんに、阿波介という上人に仕えていた人物を指して「あの阿波介が称える念仏と源空の称える念仏のどちらがまさっていると思うか」と質問されたという逸話です。聖光房は、「同じはずはありません」と答えたのですが、これに対して上人は「日ごろ何を学んでいるのか。助けたまえと申す念仏に勝劣があるわけがない」と言われたというものです。
 原文では「上人由々しく御気色変はりて、『されば、日来浄土の法門とては、何事を聞かれけるぞ。』」と、きつく諫められた様子が伝わる一文です。

 赤松氏によりますと、『親鸞伝絵』の方が『法然上人行状絵図』より先に成立していて、法然聖人の逸話を受けて『親鸞伝絵』の記述がなされたということはなく、この「信心諍論」は実際にあったことだろうとされています。

(図は、専修寺本の『親鸞聖人伝絵』です)

 法然聖人を中心にして親鸞聖人が左に、他のお弟子さん方が右に座っておられます。前回の本願寺本と同じく、論争の雰囲気が伝わってくるような構図になっています。その点では、前々回の自坊の御絵伝の構図(これは、多くの寺院に見られるものと同じですが)とは違った空気が感じられます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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