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522.歴史を訪ねる(15):大内氏歴史文化研究会(1)「寺社の建築様式」

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 去る3月16日、山口県立図書館で開催された「周防・長門国に於ける中世社寺建築の様式について」という講演会を聞くことができました。この講演会は、大内氏歴史文化研究会が主催されたもので、第12回講演会の当日の講師は秋田公立美術大学の澤田享教授でした。

 この大内氏歴史文化研究会は、「大内氏に関わる歴史及び文化に関連する研究を行い、その拡大と深化を図る」(「研究会設置要綱」)ために設置されたもので、研究調査、資料の収集、研究誌の刊行、講演会・シンポジウムの開催などを行っておられるということです。
 実は、私はこの研究会についてはそれまで全く知らず、今回の講演会もたまたま立ち寄った「学びの森くすのき」でそのポスターを見かけて出かけたものです。

 澤田氏のお話しでは、山口を中心とする防長二国の中世建築には、他の地域と比較して特色ある細部意匠が見られるのだということです。この中世というのは鎌倉時代(1185~1332年)から室町時代(1333~1572年)に当たるのだそうですが、特に15世紀後半からの室町時代後期に防長二国独特の意匠が顕著なのだそうです。この室町時代後期は、守護大名だった大内氏の時代の後期にも当り、その特徴は防長二国に広く広がったものであったということです。
 このように、建築物の特徴からその建物が建築された時期や場所(当初の建築場所から他の場所に移築されたものもあるのだそうです)が分かるということも興味深いことでした。

 澤田氏によりますと、建築物の意匠を見る場合次のような個所は時代や場所で変化が見られ、その点に注目して観察すると面白いという紹介がありました。
  蟇股(かえるまた):上の写真左にあるような、蛙が股を踏ん張っているような部材・装飾のことです
  虹梁(こうりょう)の袖切(そできり):虹梁は写真中のような梁(はり)のことで、袖切はその端部にはいる切り込みのことです
  肘木(ひじき):荷重を支える腕のような横木のことです
  大瓶束(たいへいづか):荷重を支えるために梁上に建てられる瓶形の柱のことです
  縁桁鼻隠板(えんげたばなかくしいた):縁用の材の先端を隠すための装飾のことです
 
 「蟇股」は以前耳にしたことがありましたが他の言葉は今回初めて耳にしたものでした。「なるほどそのようなもので建造物が支えられ維持されているのか」という思いで聞いていました。
 当日配布された資料では、稔小野の法泉寺さんの厨子は享禄年間(1528~1532年)のもので、実肘木(さねひじき)および大瓶束に時代の特徴があるという紹介がなされ、また吉部八幡宮の縁桁鼻隠板は18世紀初頭のものだという紹介もありました。

 この講演をお聞きして、自坊だけでなく他の寺社の建物ついてさらに興味を持って見ることができそうです。

 余談ですが、上記のように、鎌倉時代のスタート時期は1185年というのが現在の主流になっているのだそうです。私たちは、源頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年を「いいくにつくる」と鎌倉時代の始まりとして覚えていたのですが、変わってきたようです。

(写真は、建築物の意匠で手元に写真があるものです。)

 写真左は、下部が蟇股、上部が大瓶束だと思われるもの(自信がないのですが・・)です。蟇股は自坊の本堂では見当たらなかったものですから、以前下関市長府の功山寺の輪蔵(経蔵)で撮った写真を使っています。1799年に建立されたそうです。
 写真中は虹梁、右は斗栱(ときょう)です。こちらは寺の本堂のものです。 
 斗栱は斗(ます)状の支えと肘木、さらには肘木上の小さな斗が組み合わされて1組となります。写真のものは3段重ねとなっていますがこれを「ニ手先」と呼ぶのだそうです。軒を前に広げるためにも使われる技術で、六手先という大規模なものまであるということです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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