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518.春の法座をお勤めしました

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 昨日3月10日、春の法座をお勤めしました。
 ご講師には大津東組願生寺ご住職 蘭哲昭師をお迎えしました。

 ご講師は、平成6年2月に即如前ご門主が当時の厚狭北組をご巡教になられた時に山口教務所でその担当をされていたというお話しをされました。ご巡教のなかで前ご門主は壽福寺にもおいでになられたのですが、ご講師はその担当として何度も寺にこられ、打ち合わせ、準備をされたのだそうです。

 その際に印象に残っていることとして、前ご門主は寺の境内に入られる際は、どんなに遠回りになっても必ず山門から入っておられたとお話しになられました。以前にも記しましたが、私たちはつい便利だからと、駐車場からそのまま境内に入ってしまおうとしますが、これはやはりやってはいけないことだと、改めて思い返させていただきました。
 もう一つ、ご講師の記憶に残っていることは、前ご門主が時間に厳格な方だったことだそうです。そのため、準備の担当者は行動計画を分単位でたてるようにされていたのだそうです。前ご門主がそのように時間に厳格だったのは、相手の方を待たせてはいけないということをいつも心にかけておられたからだそうです。例えば前ご門主が通られる際にはご門徒さんが出迎えるということがあるのですが、その場合も到着や通過が遅れて待たせるようなことになってはいけない、といつも考えておられたからだということです。前ご門主は相手の立場に立って考え行動するということの大切さを自ら示しておられたのです。


 ご講師はご法話の中で、岡本かの子さんの次の和歌を紹介されました。
  年々(としとし)にわが悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり

 ご講師は、この歌の前半では、私たちは年を経るに従ってより深い悲しみを背負っていく姿がうたわれているとされます。対外的な関係での悲しみは勿論、私自身のうちにある悲しみ、老い、病そしてやがて迎える死、そのようなものが私たちを暗く、逃れることができない境遇に追い込みます。
 かの子さんは歌の後半で、そのような自分が「いよよ華やぐ」とよまれます。年を追うごとに悲しみを深くし続ける私の命が、なぜいよいよ華やぐのでしょうか、というのがご講師の問いでした。

 ご講師は、かの子さんがこのような境地に達した背景には仏教との出会いがあったからだと言われました。
 調べてみますと、かの子さんは結婚生活や交友関係などで様々な葛藤の中でもがき苦しみ、精神的にも追い詰められるという境遇にあったのですが、『歎異抄』に出遭って仏教に心を寄せ、仏教のみ教えを力にされるようになられたということです。

 そうしてみますと、「華やぐ命」とは、老、病、死という苦に直面しながらも、その向こうに新しい喜びを見出すことができたということを表されたのではないでしょうか。「老、病があってその後、死でおしまい」ではなく、その苦を超えたところに楽しみ、新しい命を感じることができる、という喜びを表現した歌だったのではないか、と思います。

 今回の法座でも多くの皆さんにお世話になりました。
 新に会計監査になられた岩﨑明さん、会計担当になられた吉屋博志さんには受付の仕事をお願いしました。初めてお願いしたのですが、受付方法にも工夫をしていただきスムーズに処理いただきました。
 また、仏教婦人会の井上愛子会長、会計監査の志賀信子さん、万倉船木地区の役員齋藤智代さん、松本三枝子さん、江木都美恵さんにはおときの準備から給仕、後片付けまでをお願いしました。

 皆さんのご協力に厚くお礼申し上げます。

 下の写真左は、新しい三役、左から会計吉屋博志さん、代表総代井上啓志さん、会計監査岩﨑明さんです。
 写真右はおときを準備していただいた仏教婦人会の皆さんです。

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(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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