FC2ブログ

517.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (24):上巻第七段(2)

20190308第七段西本願寺本

 今回は、御絵伝上巻第七段の後半部分について学びます。
 前半部分では、親鸞聖人がご自身の信心と師である法然聖人の信心とはなんら変わるところはなく、一つである、と述べられたことに対して、他のお弟子さん方はそれはおかしいと反論されました。これに対して、親鸞聖人は、信心は自分の力で得るものではなく阿弥陀さまからいただくものなのだから、師の信心と変わるところはない、と反論されました。

 今回の部分では、この論争に対して法然聖人がご自身の考えを述べられます。『御伝鈔』の御文と訳文です。

 大師聖人まさしく仰せられてのたまはく、「信心のかはると申すは、自力の信にとりてのことなり。すなはち智慧各別なるゆゑに信また各別なり。他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり。わがかしこくて信ずるにあらず、信心のかはりあうておはしまさんひとびとは、わがまゐらん浄土へはよもまゐりたまはじ。よくよくこころえらるべきことなり」と云々。ここに面面舌をまき、口を閉ぢてやみにけり。

 そうすると師聖人(法然)がはっきりおっしゃいました。「信心が違うというのは、自力の信について言うことです。人によって知識が違うから、信心にもまた違いが出てきます。しかし他力の信心は、善人であろうと悪人であろうと、阿弥陀さまからいただいた信心なのですから、私・法然の信心も、善信房(親鸞)の信心も、少しも違ったところがあろう筈はありません。信心はみな一つなのです。私が賢いから信じるのではありません。もし私の信心と違う信心を抱いておられる人があったら、その人びとは、私が参ろうとしているお浄土へは、まさか行かれることはありますまい。よくよく心得ておきなさい。」と。そこでそこにいる人びとは、驚嘆して口をつぐみ、その論争は決着したのでした。


 法然聖人は、信心は阿弥陀さまからいただいた他力のものだから自身の信心と師法然聖人の信心には変わるところはない、とされる親鸞聖人の主張を支持されました。さらには、法然聖人の信心と違った信心を持っているものは、同じ浄土に生れることはありえない、と強くたしなめられました。

 この論争について、平松令三氏は、「それにしても、同じ法然聖人門下でありながら、信心を同じくする人びとが少ないというのは、驚きではないでしょうか。」と述べておられます。
 といいますのも、この時に親鸞聖人を論難した正信房・勢観房・念仏房という3人のお弟子さんは、法然聖人門下の重要なお弟子さんだったと伝えられているからです。

 平松令三氏および岡村喜史氏の著書によりますと、正信房・勢観房の二人は親鸞聖人よりは年少ながら、早くから法然聖人のお弟子さんとなっていた人です。
 正信房湛空は、法然聖人が流罪になられた時には聖人に従って配所まで赴かれ、法然聖人の示寂後に三七日供養の施主を努め、聖人の遺骨を迎えて嵯峨二尊院に墓所を営まれた方ですし、勢観房源智は、法然聖人のご臨終に当たって遺書である「一枚起請文」を授けられた方で、大谷の墓堂に法然聖人の遺骨を安置し寺院として整備した方です。これが後の知恩院です。

 このように、今回の第七段に記されている出来事は、法然聖人の高弟の中でも、聖人の教えを正しく理解している人が少なかったということを示すものといえるようです。

(図は、伝絵西本願寺本の「信心諍論」の部分です。)

 奥に座っておられるのが法然聖人、親鸞聖人は左に一人座っておられます。前回の図とは違って、今回の図では、法然聖人の前で親鸞聖人が他のお弟子さん方と論争されているという雰囲気を感じることができます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR