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46.浄土真宗の教章(6)

20140908センニンソウ1    20140908センニンソウ2

 「浄土真宗の教章」は、前回見ました「経典」の次に「教義」、「生活」、「宗門」という項が続いています。

 今回はその「教義」を取り上げたいと思いますが、教章には次のように書かれています。

 教義 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏(ぶつ)となり、迷いの世に還(かえ)って人々を教化(きょうげ)する。

 ここでは、次のことが示されています。

 1.私たちは、阿弥陀如来の本願の力によって信心を与えられ、念仏を申すことができ
 2.私たちは、この世での縁が尽きたときには阿弥陀如来の浄土に迎えられて仏となり
 3.その後、私たちは、この迷いの世界に還ってきて人々を救うことができる
 
 1.項では、私たちは、「自分が信心を得ている、自分がお念仏申し上げている」と思っていますが、これは実は阿弥陀如来の本願が私たちに届いてそのことによって私たちが信心を得ることができ、お念仏申し上げているのだということが示されています。
 お盆の項で申しましたように、「南無阿弥陀仏」の名号(お念仏)は阿弥陀如来の「必ず救うから、我にまかせよ」という呼びかけ、召喚だと親鸞聖人は示されました。また、私たちが口にするお念仏は、「私のことは全て阿弥陀さまにおまかせします。このような私をお救いいただきありがたくもったいないことです」というお礼の言葉なのです。

 これに続く2.、3.項は、往相回向、還相回向とお呼びしているものです。

 その阿弥陀如来のご本願の働きにより、私たちはこの世に縁が尽きたとき(つまり死を迎えるとき)には、間違いなくお浄土に往生させていただくことができ、しかもそのことは私たちが生きている今現在定まっているのだということを聖人は示されました。
 この阿弥陀如来のご本願のはたらきを「往相回向」とお呼びしています。

 そしてその後、私たちは阿弥陀如来のご本願のはたらきによりこの迷いの世界に還って、み仏とともに人々をお浄土に迎える役割を果たすと示されました。これを「還相回向」とお呼びしています。

 お浄土に向かう往相回向もお浄土から還る還相回向も、ともに阿弥陀如来の本願(他力)によるものだということがここで示されています。
 親鸞聖人は「正信偈」の中では次のように記されています。
  往還回向由他力 正定之因唯信心(往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり。)
 
 
(写真は、センニンソウです)
 昨日、荒滝山のふもとの駐車場で写しました。右の写真の後方に見えるのが荒滝山です。
 センニンソウは、テッセンやクレマチスと呼ばれる植物と同じ属の植物で、純白の花を持っています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 
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