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509.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (20):上巻第六段(2)

20190208御絵伝第六段自坊s  

 『御伝鈔』の第六段の前回に続く部分です。

 善信聖人(親鸞)、あるとき申したまはく、「予、難行道(なんぎょうどう)を閣(さしお)きて易行道(いぎょうどう)にうつり、聖道門を遁(のが)れて浄土門に入りしよりこのかた、芳命(ほうめい)をかうぶるにあらずよりは、あに出離解脱の良因を蓄へんや。よろこびのなかのよろこび、なにごとかこれにしかん。しかるに同室の好(よしみ)を結びて、ともに一師の誨(おしえ)を仰(あお)ぐ輩(ともがら)、これおほしといへども、真実に報土得生(とくしょう)の信心を成(じょう)じたらんこと、自他おなじくしりがたし。かるがゆゑに、かつは当来の親友(しんぬ)たるほどをもしり、かつは浮生(ふしょう)の思出(おもいいで)ともしはんべらんがために、御弟子参集の砌(みぎり)にして、出言(しゅつごん)つかうまつりて、面々の意趣をも試みんとおもふ所望あり」と云々。
 大師聖人(源空)のたまはく、「この条もつともしかるべし、すなはち明日人々来臨のとき仰せられ出(いだ)すべし」と。しかるに翌日集会(しゅうえ)のところに、上人(親鸞)のたまはく、「今日は信不退(しんふたい)・行不退(ぎょうふたい)の御座(みざ)を両方にわかたるべきなり、いづれの座につきたまふべしとも、おのおの示したまへ」と。

 そこである時親鸞聖人が法然聖人に申しあげました。「私は困難な修行を必要とする聖道門をやめて、やさしい易行道の浄土門に入れていただいたのですが、先生のお教えがなかったなら、どうして生死の世界から離れる因をたくわえることができたでしょうか。喜びの中の喜びはこれに過ぎるものはありません。ところが同門として交際をし、一緒に先生の教えを受けている仲間は多いけれども、本当に報土に往生しえる信心を成就しているのかどうか、どうもよくわかりません。そこで、一つには誰がお浄土での親友であるかを知るために、さらに一つにはこの世での思い出ともするために、お弟子たちが集会した際に、私が質問を申しあげて、参集者たちの心の内を試してみたいと思いますが如何でしょうか」と。法然聖人はこれを聞いて、「よろしい、結構でしょう。明日人びとがやって来たときに、言い出してみなさい」とおっしゃいました。
 そこで翌日の集会の場で親鸞聖人は、「今日は、阿弥陀仏の本願を信ずる一念に浄土往生が決定すると信ずる<信不退>の座と、念仏の行をはげむことによって、その功徳により浄土往生が決定すると信ずる<行不退>の座と、二つの座に別れてすわってください。どちらにすわるか、おのおのの態度をお示しください」と申されました。


 前回、覚如上人は、法然聖人を慕って老若男女、身分を分かたず多くの人びとが参集したこと、しかし法然聖人の周りにいた多くのお弟子さんの中に本当に法然聖人の教えを理解し、それを守り通そうとする者が極めて少なかったことを述べられました。
 そのような状況の中で、親鸞聖人は師の法然聖人に、お弟子さんのうちだれが正しく教えを受け止めているのか知るために質問をしたいと進言されました。法然聖人は了承され、親鸞聖人はお弟子さんに、<信不退>と<行不退>のどちらの座に就かれるか示してもらいたい、と問いかけをされます。

 『浄土真宗辞典』によりますと、この<信不退>とは「阿弥陀仏の本願を信じる一念に浄土往生が決定(けつじょう)するとする立場」、<行不退>とは「念仏の行をはげみ、その功徳によって浄土往生が決定するとする立場」とされています。
 法然聖人はどのような者でも念仏一つで救われると説かれたのですが、その念仏が、本願を信じる一念の姿なのか、あるいは往生の功徳を求める行として行われるものなのか、という違いを問われたのだと思います。

 この第六段については、様々な論議があるとお聞きしました。
 この段に記されているようなことが実際にあったのかどうか、というのもその論議の一つです。といいますのは、このようなエピソードを記した記録は、覚如上人が記されたこの『御伝鈔』以外には見当たらないのだそうで、そのようなことから、この出来事は覚如上人が創作されたものだという説もかつてはあったようです。
 この議論について、赤松俊秀氏は『人物叢書 親鸞』で、親鸞聖人が法然聖人に帰依された頃、門弟が一念義、多念義の両派に分かれて対立していたこととの関連を指摘されています。念仏の多寡にかかわる論争から発し、一念義は信を、多念義は行を重要視することとなり、法然聖人の教団を二分する対立になったとされています。今回の「信行両座」の出来事はその教団内の対立を反映したものであって、覚如上人が作り出されたものではないとされ、この見解が広く支持を得るようになっているようです。

(図は、自坊の『御絵伝』の第六段です。)

 この第六段も2つの情景が一つの図として描かれています。
 右の場面は、親鸞聖人が法然聖人に、お弟子さんのうちだれが教えを正しく理解されているか質問したいと提言された場面で、手前に親鸞聖人、奥に法然聖人が描かれています。右の3人はお弟子さんです。

 左の図は、その翌日親鸞聖人がお弟子さんに<信不退><行不退>のいずれの座につかれるか、と問いかけられた場面です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 

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