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496.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (18):上巻第五段(3)

 
20181224法然聖人s    20181224法然聖人2s

 本日は、上巻第五段の最後の部分になります。

『選択本願念仏集』は、禅定(ぜんじょう)博陸(はくりく) 月輪殿(つきのわどの)兼実(かねざね)、法名円照 の教命(こうめい)によりて選集(せんじゅう)せしめたまふところなり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在(しょうざい)せり。見るもの諭(さと)りやすし、まことにこれ希有最勝の華文(かもん)、無上甚深(じんじん)の宝典なり。年を渉(わた)り日を渉り、その教誨(きょうけ)を蒙(こうぶ)るの人、千万なりといへども、親(しん)といひ疎(そ)といひ、この見写を獲(う)るの徒(ともがら)、はなはだもつてかたし。しかるにすでに製作を書写し、真影を図画す。これ専念正業(しょうごう)の徳なり、これ決定(けつじょう)往生の徴(ちょう)なり。よつて悲喜の涙を抑へて、由来の縁を註(しる)す」と云々。」

『選択本願念仏集』は、そのころ出家しておられた関白九条兼実公(月輪殿と呼ばれ、法名は円照)のご命令によって、撰述せられたのものです。真宗の要点、念仏の奥義がこの中にすべておさめられています。これを見るものは、念仏の教えをさとりやすく、本当に世に稀な、もっとも勝れた文章であり、これ以上のものはない意味の深い貴重な聖典です。長い年月にわたって、その教えをこうむった人は、千万人にものぼるけれども、法然聖人に親しかった人の中でも、それを拝見し書写させていただいた人は、本当にわずかしかありませんでした。それなのに、私、親鸞はそれを書写し、さらに肖像画まで描かせていただきました。これはひとえに、ひたすら念仏を称えさせていただく身となった徳によるものであると共に、かならず浄土へ往生するという、そのしるしでもあります。ですから、ここに喜びの涙をおさえながら、これまでの経緯を註記しておくのです。
と書かれています。」


  覚如上人は引き続き『教行信証』の親鸞聖人の言葉を記されます。
 親鸞聖人はここで、法然聖人が記された『選択本願念仏集』が世に稀な、これ以上ない大切な書であるとされ、法然聖人がこの書をごく限られた人にしか書写を許されなかったこと、ご自身がそれを許され、さらには法然聖人の肖像画まで書写することを許されたことを感激をもって記されます。

 法然聖人はここにありますようにその主著の『選択本願念仏集』を九条兼実公の求めによって著述され、それが完成したのは建久9年(1198年)のこととされています。(元久元年(1204年)完成とする説などもあるようです)
 この九条兼実公は、平安時代の終わりから鎌倉時代の始めにかけて、摂政、関白を努め政治に中心におられた人物で、親鸞聖人が出家された際に戒師をつとめた慈円師の兄に当たる人でもあります。そのような人なのですが、法然聖人の念仏の教えに帰依され、法然聖人にその教えを著述するようにと要請されました。

 法然聖人は、兼実公の求めに応じて『選択本願念仏集』を著されたのですが、この書の末尾に「一たび高覧を経て後に、壁の底に埋みて、窓の前に遺すことなかれ(読み終わったら後は壁の底に埋めて、窓の前に遺してはならない)」と記し、一般に公開することを禁じられました。
 それは、前にも記しましたように、法然聖人が『選択本願念仏集』に説かれた念仏の教えが当時の仏教界では全く新しい教えであったことによります。これに対する拒絶反応から弾圧につながる恐れがあり、中途半端な知識で読むことによって誤解されるという懸念を持たれたことによります。

(図は、岡崎市の妙源寺に「選択集相伝御影」として伝わる法然聖人像です。『真宗重宝聚英』第6巻(1988年同朋舎出版)よりお借りしています)

 前回、親鸞聖人が法然聖人から「南無阿弥陀仏」の名号と『往生礼讃』の文をいただかれた法然聖人の肖像画はまだ見つかっていないと書きましたが、その肖像画ではないかと有力視されているのがこの妙源寺の「選択集相伝御影」だということです。
 右の図は、画面右上の部分なのですが、この字は法然聖人の自筆に間違いないだろうとされているものです。

 『御絵伝』や『伝絵』では、法然聖人は肖像画の上下に白い枠があってそこに讃文を書かれているように描かれていましたが、実際はこの絵のように白枠はなかったということになりそうです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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