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481.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (12):上巻第三段 (4)

20181102伝絵六角堂専修寺  IMG_3965 (2)

 前回に引き続き『御絵伝』の第三段(六角夢想)について学びます。

 『御伝鈔』の御文と訳文を記します。
 「しかあれば聖人、後の時仰せられてのたまはく、『仏教むかし西天よりおこりて、経論いま東土に伝はる。これひとへに上宮太子(じょうぐうだいし:聖徳太子のことです)の広徳、山よりもたかく海よりもふかし。わが朝欽明天皇の御宇(ぎょう)に、これをわたされしによりて、すなはち浄土の正依経論等この時に来至す。儲君(ちょくん:皇太子のことで聖徳太子を指します)もし厚恩を施したまはずは、凡愚いかでか弘誓にあふことを得ん。救世菩薩はすなはち儲君の本地(ほんぢ:本来の姿)なれば、垂迹(すいじゃく:仮の姿を現すこと)興法の願をあらはさんがために本地の尊容をしめすところなり。」

(だから親鸞聖人はのちになって次のようにいわれました。
 「仏教はむかし西方のインドから興って、経典や論書はいま東方の日本に伝わってきている。これはひとえに聖徳太子の広大な御徳によるものであって、それは山よりも高く海よりも深い。仏教は日本の欽明天皇の御代に伝来したので浄土門が正しい依りどころとする経論などもこのときに渡来した。聖徳太子がもし仏教に対する恩を施されなかったら、われわれ凡夫はどうして如来の広大な誓願にあうことができただろうか。救世観音というのは、聖徳太子の本来のお姿なのだから、仮に人間の姿を現して仏法を興隆させようとする願いを明らかにするために、本身である観音の姿を示されたのだ。)


 親鸞聖人は、聖徳太子を大変に尊崇しておられました。それは、今回の御文にありますように、仏教が日本に受け入れられ、浄土の教えが伝えられたのは聖徳太子がおいでになったおかげであり、もし太子がおられなかったら、阿弥陀如来の誓願にあうことができなかったと、考えておられたことによります。
 比叡山で20年の修行と勉学に励まれそれでも脱することのできない悩みを抱かれた親鸞聖人が六角堂に参籠されることになったのも、六角堂が聖徳太子建立のお寺として知られていたからだと思われます。

 そして、六角堂に籠られて95日目に、聖徳太子は夢の中で本来の姿である救世観音となって親鸞聖人の前に姿を現されて、前回学びました偈文をお告げになられました。深い敬慕の念を持っておられた聖徳太子が、夢の中で救世観音の姿をとってこの偈文を説かれただと受け止められて、親鸞聖人は直ちに法然聖人の許を訪ねられたのです。
 
(図は、『親鸞聖人伝絵』(高田専修寺本)の「六角夢想の段」です)

 真宗高田派の本山専修寺に伝えられているものです。

 今回も1枚の図に3つの場面が描かれていますが、以前見ました西本願寺本の『伝絵』や寺の『御絵伝』と違うところは、右の図のように救世観音が立っておられるところです。『御伝鈔』の御文には「広大の白蓮華に端座して」と記されていますが、ここでは立像に描かれています。
 西本願寺本と専修寺本の『御絵伝』のどちらが古い形を伝えているのか、ということで議論があって、この六角堂の図の違いにも着目して、専修寺本が西本願寺本より先行する、という論拠の一つになっているようです。 

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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