FC2ブログ

471.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯 (9):上巻第三段

20180928第三段

 『御絵伝』の第三段に入ります。
 『御伝鈔』のこの段は少し長い文章になっていますので、分けて読みたいと思います。その最初の文の現代語訳です。

 「建仁3年癸亥4月5日の夜、午前4時ごろ、親鸞聖人に夢のお告げがありました。『親鸞夢記』によりますと、京都六角堂の本尊救世観音菩薩が、端正な顔立ちの気高い僧侶のお姿で、白色のお袈裟を着け、広く大きな白蓮華の上にキチンと正座して、善信すなわち親鸞聖人に次のような意味の偈文をお告げになりました。」

 『御伝鈔』のこの文によれば、親鸞聖人は建仁3年(1203年)に、六角堂で夢告を受けられました。建仁3年といいますと、聖人が六角堂での参籠の後、法然聖人の許を訪ねられてから2年後ということになります。
 先に学びました『恵信尼消息』によりますと、親鸞聖人は建仁元年に比叡の山を下り、六角堂に百日の間籠られました。その様子を次のようにお伝えいただいています。
 「山を出でて、六角堂に百日籠らせたまひて後世をいのらせたまひけるに、九十五日のあか月、聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ、やがてそのあか月出でさせたまひて、後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんとたづねまゐらせて、法然上人にあひまいらせて、」
 親鸞聖人は六角堂にこもられた95日目に聖徳太子の夢告を得られて、その朝ただちに法然聖人を訪ねられたと記されています。

 恵信尼公が記されている六角堂の夢告と、今回の第三段の夢告とは、同じものなのかあるいは違う時期のものなのか、ということが議論されていたようですが、これは同じことを記しているのだというのが結論となっているようです。つまり、恵信尼公がお伝えいただいているように、親鸞聖人は建仁元年に六角堂で夢告を得られて吉水の法然聖人の許を訪ねられたのですが、覚如上人は『御伝鈔』でそのことを建仁3年のこととして「吉水入室」の後に記されたということになります。

 このようになった原因として、平松令三氏は赤松俊秀氏の解釈を受けられて、覚如上人が『恵信尼消息』の記述を知られたのは、最初に『御伝鈔』を記された後だったことによるとされています。覚如上人は、親鸞聖人が六角堂で夢告を受けられたということはご存知だったのですが、それが法然聖人を訪ねられるきっかけだったということはご存知なかったということのようです。
 覚如上人が、親鸞聖人が法然聖人の許を訪ね帰依されるようになった背景について、「隠遁のこころざしにひかれて」といった漠然とした表現で述べておられたのもそのようなことが背景にあるのだと平松氏は説明されています。

 このように、親鸞聖人は六角堂で得られた夢告に従って法然聖人を訪ねられましたが、当時の人は「夢」というものに大きな意味を見出していたようです。
 現代の私たちは夢を見ることについて余り重要視しませんが、当時の人は、夢というものは神や仏と接触できる道だと考えていたと平松氏は言われます。従って、夢はそれを見た人に対して大いなる説得力を持つものだったようです。
 今回の段に出てきます『親鸞夢記』は、親鸞聖人が記された夢の記録だとされています。当時、多くの人が自分が見た夢の記録を残しておられるということで、当時の人が夢というものに対して特別な重要性を見ていたということを表しているようです。

(図は、御絵伝の第三段の絵です)

 左上の白く抜けている部分には第四段の絵が入っていますので、今回は切り取りしました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR