FC2ブログ

457.最近の話題です(15):胃カメラ

20180810サルスベリ   20180810サルスベリ2

 極めて個人的な「最近の話題」ですが、先日胃カメラの検診を受けたときに感じたことを記します。
 宇部市の定期検診で毎年胃カメラの検診を受けることにしていて、今年は8月6日に受診しました。

 一通りの検査の最後に医師と補助をしていた看護師さんの会話が聞こえてきたのですが、それはこれまで聞いたことのない内容で、次のようなものでした。
 医師「水をあと2つ入れようか」
 看護師「分かりました。とってきます」

 最初はそのやりとりの意味がよく分からなかったのですが、後の医師との話などから、当日は例の猛暑で、水分の補給をさせようということだったようです。
 胃カメラの検診では喉に麻酔を行いますので、検診が終わっても1時間程度は誤嚥を防ぐために水や固形物の摂取は避てください、ということになっています。そんなことから、検診が終わった後に、検診用に入れてある管を通して胃に水を入れて熱中症対策の給水をしていただいたということになります。

 これはこれで有り難く、また検診の結果も問題なし、ということで一安心だったのですが、少し違和感が残りました。
 それは「水を入れる」という言葉なのですが、私が自分の意思で水を飲むのではなく、私の胃に水を入れるということになります。医療上は必要なものだとしても、そのことによってなんとなく私の胃袋が管理、コントロールされているといった妙な「違和感」だったように思います。

 この経験から、以前ご紹介した『医者が仏教に出遭ったら』という本と、著者の田畑正久氏の「医療現場に携わる仏教」という講演のことを思い出しました。

 田畑氏は、長寿を望む私たちと、病気を治したいとする医師の努力が高度な医療技術を発達させてきたと言われました。しかし、治る見込みのない病を前にした時に、医療はどのような対応が可能なのだろうか、と氏は問われます。その場合、医師は命を長らえることが使命だと考えて延命にに注力することになりますが、その治療が本当に患者さんの意思に沿ったものなのか、患者さんにとって良いことなのか、ということが見過ごされる可能性がある、と氏は述べられています。
 そのような場合、私の意思とは別のところで、私の「胃袋」が管理、コントロールされるということにつながるのかもしれません。

 ここでも、生老病死という根源的な苦に私たちがどのように向きあうのか、という課題につながることだと思い至りました。

(写真は、サルスベリの花です。いま盛んに咲いている花です)

 左は、寺の境内で平成16年8月に撮影したものですが、現在はかつての勢いをなくしているように見えます。
 右のような白花の品種もあります。こちらは大阪の花博記念公園に咲いていたものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR