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454.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯(2)

20180730御絵伝4s 20180730御絵伝3s 20180730御絵伝2s 20180730御絵伝1s

 「御絵伝」の2回目になりますが、今回も「御絵伝」と『御伝鈔』の成立についてもう少し見てみたいと思います。

 前回見ましたように本願寺第三世の覚如上人(1270~1351年)は、永仁3年(1295年)に親鸞聖人の33回忌に当たって、聖人のご生涯を描いた絵巻「親鸞聖人伝絵」を制作されました。
 門弟たちは、親鸞聖人のご生涯を描いた絵巻を大変に喜んで、覚如上人にお願いして伝絵を作っていただき、また覚如上人も、それ以降伝絵の内容を手直ししていかれたと伝えられています。

 そのような結果、伝絵の内容は初め上巻6段、下巻7段の合計13段だったのが、最終的に聖人のご事績2段を追加して上巻8段、下巻7段の合計15段となりました。また全体の題名も、最初は「善信聖人絵」とされていたものが、その後「善信聖人親鸞伝絵」と改められ、覚如上人の晩年には「本願寺聖人親鸞伝絵」となるなどの変遷があったとされています。
 覚如上人が74才の時に制作された伝絵が東本願寺に残されていて、これが覚如上人制作の伝絵の最終版とされ、それ以降に寺院などに授与されることになる「御絵伝」や『御伝鈔』はこの時の伝絵に基づいて制作されたものだということです。

 伝絵の絵の部分を取り出して掛軸(掛幅)にしたものが「御絵伝」ですが、この御絵伝を始められたのは、覚如上人のご長男の存覚上人(1290~1373年)だったとされています。存覚上人は浄土真宗のみ教えを広く一般に広めようとされた方で、この掛幅の絵伝もその工夫、アイディアの一つだったようです。
 前回にも記しましたが、ご絵伝は時代によって1幅から6幅と様々な形で残されていますが、現在多くの寺院で見られるのは4幅に収められたものです。この4幅の御絵伝を広く地方の寺院に授与されたのは、本願寺第八世の蓮如上人(1415~1499年)とそれ以降の宗主方です。

 寺にあります御絵伝をみてみますと、箱書には寳永五年戊子五月十九日の日付けがあり「興正寺殿御門徒端坊下専想寺下長久寺下長門國厚狭郡万倉村寿福寺玄泰」と記されています。この御絵伝は寳永五年(1708年)に授与されたもので玄泰師がこれを受けたということになるのでしょうか。興正寺、端坊、専想寺、長久寺と記されていますが、これは本山から壽福寺に至る本末寺関係を表したものだと思われます。

 防長2州の寺院や神社の由来を記した「防長寺社由来」という書があります。その中にそれぞれの寺院が持っている寺宝の由来が記されていますが、壽福寺の御絵伝については次のように記されています。
 「一 親鸞聖人縁起四幅
  但、七世天竜代宝永五年戊子五月廿日寂如上人より免許」

 日付けが一日違っていますが、上記の箱書とともにこの時期に御絵伝を受けたことを示しているようです。
 ただ、玄泰師と天竜師が同一人物なのかという点についてははっきりしません。と言いますのは、寺の過去帳には六代住職として玄泰師の名前があるのですが、天竜師の名前は過去帳に見当たらないのです。この辺りは、「歴史を訪ねる」の方でもう少し調べてみたいと思います。

(図は、山口教区白滝組の専修寺様の御絵伝です。)
 
 山口別院から発行された「御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯」につけられていたCDからお借りしています
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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