FC2ブログ

453.御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯

20180727伝絵 

 本日から新しく「御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯」を始めます。
 以前から「御絵伝」に描かれた内容についてよく知りたいと思っていましたところに、4月1日より、「本願寺新報」紙上で「ここに注目!読み解き親鸞聖人ご絵伝」という連載記事が始まりました。
 これをご縁として、ご一緒に聖人のご生涯について学びたいと思った次第です。

 親鸞聖人のご生涯を記した伝記として、「親鸞聖人伝絵(でんね)」と「親鸞聖人絵伝(えでん)」および『御伝鈔(ごでんしょう)』があります。
 その元となるものは、親鸞聖人の曽孫に当たる本願寺の三世宗主覚如上人が、聖人の没後33年(1295年)に当たり聖人のご生涯を描いて制作された絵巻「親鸞聖人伝絵」です。
 「絵巻」というのは、通常は絵と詞書(ことばがき:文章)を交互に組み合わせたもので、横長の紙(または絹薄布)を長くつないだものに記されます。絵巻といいますと、『源氏物語絵巻』や『鳥獣人物戯画』などを思い出しますが、たくさんの絵巻が平安の中期以降に制作されたとされています。

 覚如上人は、親鸞聖人のご生涯を記すのに先立ち、自ら東国に足を運ばれて聖人の足跡を訪ね、聖人から直接教えを受けた門弟にも話をお聞きになられたと伝えられています。そのうえで詞書をご自身が書かれ、描かれた絵とともに「伝絵」ができました。

 このように「伝絵」は、絵と詞書を巻子(かんす:巻物)に描いたものですが、この中から絵だけを取り出して掛軸にしたものが「絵伝」です。巻物ではなく掛軸にすることにより、同時に多くの人々が見ることができるようになり、み教えが広がるに当たって大きな力となったのではないかと想像されます。
 現在、寺には4幅からなる「御絵伝」があり、報恩講の時期にはこれを向かって左の余間にお掛けします。多くの浄土真宗の寺院ではこの4幅の「御絵伝」を使っていますが、このほかに、1幅や2幅、3幅さらには5幅、6幅に分けて描かれた「御絵伝」もあるようです。
 一方の『御伝鈔』は、この「伝絵」の中の詞書の部分だけを取り出して記した書籍ということになります。

 これからの記事「御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯」では、この「御絵伝」と詞書である『御伝鈔』をもとにして親鸞聖人のご生涯について学び、聖人のご苦労を偲ぶこととしたいと思います。
 なお、記事の作成に当たっては、次の書籍や資料などを参照させていただいています。

 ○『聖典セミナー 親鸞聖人絵伝』平松令三氏著(本願寺出版社刊)
 ○『御絵伝に見る親鸞聖人のご生涯』(山口教区発行)
  (同じタイトルを使わせていただきました。附属のCDの写真も使わせていただきたいと思います)
 ○「ここに注目!読み解き親鸞聖人ご絵伝」岡村喜史氏著(本願寺新報)
  (岡村喜史氏は本願寺資料研究所の研究員であり、中央仏教学院の講師でもあります。私も学院で「真宗史」について教えていただきましたので、当時のことを懐かしく思い出しながら記事を読ませていただいています。)
 ○『人物叢書 親鸞』赤松敏秀氏著(吉川弘文堂刊)
 ○『親鸞ノート』服部之総氏著(福村書店刊)
  (唯物史観からの聖人像を見ることができますが、服部氏は真宗のお寺の出身だったのです。これは今回初めて知りました)

(図は「伝絵」の部分です。)
 
 伝絵の最初(第一段)「夫(それ)聖人の俗姓は藤原氏・・・」の部分です。
 この伝絵は、長野市の康楽寺という浄土真宗の寺院に伝わったものです。このお寺の開基西仏房は、平安末期の混乱の中波乱万丈の遍歴の後、親鸞聖人とともに法然聖人に帰依し、親鸞聖人が越後に配流された時もともに越後に赴かれその後も聖人に付き添われた人だったと伝えられています。
 康楽寺の二世、浄賀師は絵の才能に恵まれた人で、その浄賀師が宗主覚如上人の依頼を受けて伝絵の絵の部分を担当したのだそうです。
 この康楽寺に伝えられている伝絵は最初に制作された原本をもとに室町時代に作られた書写本だということです。しかし、伝絵の最初の姿を伝える貴重なもので、長野市の指定有形文化財に指定されています。伝絵の絵の部分も見ることができますので、こちらもご覧になってください。→長野市文化財データベース

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR