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451.歴史を訪ねる(10):壽福寺の歴史

20180720円応寺 20180720円応寺3 20180720円応寺2

 今回から、「歴史を訪ねる」では壽福寺の創建時代を訪ね、いつ頃どのような経緯で創建されたのか、ということについて調べてみたいと思います。(ここしばらく「歴史を訪ねる」が続いていますが、歴史を調べてみるとどんどん面白くなってきます。登場人物がその置かれた環境で、なにを考え、どのように判断したのだろうか、などと推測することが面白いのです)

 寺の創建時代のことを調べていて『船木郷土史話』という本に出遭いました。長谷川卒助氏が著された本で、昭和42年に楠町教育委員会から発行されたものです。

 その中に、「附・長門における真宗寺の起源について」という一項があります。その書き出しは次のようになっています。
 「寺院の縁起をしらべて見て意外な事実を発見したのは、真宗寺の起源が大内義隆の滅亡の際、大内氏の家臣および関係のある者に創立されたのものが、周防の国には一ケ寺もないのに長門国には六十数ケ寺の多きを数えることである。」

 次いで、次の類型が示されています。
 起源からみて3つの類型
  ○大内家没落本人戦死あるいは自刃に際し、子に大内家および父の菩提を弔うよう遺言したことによるもの
  ○本人が戦後自ら剃髪して僧となる者
  ○戦死者の妻が得度した者(大友家臣)
 思想の面からの3つの類型
  ○菩提を弔うという思想
  ○無常を感じたという思想
  ○わが生命を全うするための手段
 そのうえで、上記に該当する長門の国の68の真宗寺院についてその創建の経緯が記されていますが、その所在地別の内訳は次のように記されています。
 下関(1)、宇部市(1)、萩市(1)、豊浦郡(26)、大津郡(14)、厚狭郡(11)、美祢郡(14)
 このデータによりますと、大内氏の滅亡に関わって創建された真宗の寺院が豊浦、大津、厚狭、美祢といった地域に多いことになりそうです。壽福寺は厚狭郡に入りますが、上記の11ケ寺には入っていませんでした。

 次回以降で壽福寺の創建の経緯を見てみたいと思いますが、その経緯については諸説があるようで、上の類型も参考にしながら進めたいと考えています。

(写真中と右は杉重矩の墓所です。左の写真の厚狭「円応寺」にあります)

 重矩は現在の洞玄寺で陶氏の軍に討たれここ円応寺に葬られました。円応寺は曹洞宗のお寺で、裏山の墓地に杉重矩の墓がありました。最初右の写真のようにお墓の上部が地上に落ちていて、それをもとに戻したのが中の写真です。
 「子爵杉氏墳墓」「明治43年6月建」と記された杉孫七郎氏建立になる碑と灯篭がありました。これまで見てきましたように、孫七郎氏は万倉(信田ノ丸城と天竜寺)、厚狭(円応寺)の杉氏ゆかりの地3か所に碑を建てられています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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