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448.夏法座をお勤めしました

20180708夏法座 

 昨日、7月8日、ご講師に美祢西組の長楽寺の河野宗致師をお迎えして夏法座をお勤めしました。

 ご講師は、私たちの生きている娑婆の世界とお浄土の世界について時にユーモアを交えてお話しいただきました。私たちがつい陥ってしまう、お浄土を理解するということについて、お聞かせいただきました。

 娑婆世界に生きている私たちは、阿弥陀さまのお浄土のことを理解し、分かった上でそこに救い摂られることを考えますが、ご講師はそうではないと言われます。明治時代の妙好人の「(お浄土のことは)分からないということが分かったらそれでいいのだ」という言葉のように、お浄土は私たちには理解できるというような世界ではないのだ、理解できるから信じお頼りするということではないのだといわれます。

 ご講師は、浄土三部経は「如是我聞」あるいは「我聞如是」という言葉で始まる、と紹介されました。この言葉は、お釈迦さまの説法を聞かれたお弟子さんたちがその内容を確認しあうときに、「私はこのようにお聞きしました」と語り始める言葉なのですが、私たちがお経をお読みするときには、お釈迦さまのみ教えを「そのまま疑うことなく、素直にお聞きする」ということでなければならない、とご講師は示されました。
 お釈迦さまが説かれる、煩悩に苦しむ私たちを見護り救いたいと願われる阿弥陀さまの光、阿弥陀さまのご本願は、この娑婆世界に住む私たちの理解を超えたものであって、理解できるから信じる、分かったから従うというものではないということです。

 科学技術が高度化した現在に生きている私たちは、ややもすると、あらゆるものを分析し、理解しようとします。そのようにして、理解できたものは、正しいもの、存在するものとし、理解できないものは、「存在しない」ものだと線引きをしようとします。しかしその科学技術の歴史を見ても、かつては存在するとは考えられていなかったものが、その後その存在が確認されたという事例はたくさんあります。
 私たちが、娑婆世界のやり方で「科学的に」理解しようとするものとは別に、理解できないけれども私たちに働きかけていただいている力というものを、「そのまま疑うことなく、素直にお聞きする」ことが必要なのだと、ご講師はお示しいただいたのだと思います。

 ご法話の後、昨年9月の秋法座以来になりますが、10名の方に参加いただいて「勉強会」を開きました。その前に、準備していただいたお握りを一同でいただき、腹ごしらえをしました。今回は、お正信偈の「源信讃」の部分について学ぶことができました。

 既報の通り7月1日には総代さんに境内周辺の草刈りをお願いし、法座当日は受付やご講師への接待などで役員の方々にお力添えをいただきました。厚くお礼申し上げます。

(写真は、恒例の集合写真です。住職は今回はカメラマンです。)

 豪雨の直後ということもあってお参りいただいた方が例年より少なかったのですが、秋の法座には多くの方のお参りをお待ちしています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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