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432.第4回連続研修会

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 5月12日、万福寺さんで行われました連続研修会で講師を担当しました。当日は研修会の第4回に当たり、研修内容は「お経」でした。40分の時間でしたが、問題提起として次の内容でお話しをさせていただきました。

1.はじめに
 「お経は誰のため?、何のため?」
 今年3月に終わったNHKの「朝ドラ」の「わろてんか」に登場した寺ギンさんという人物の言葉を紹介しました。
 寺ギンさんは元々はお坊さんだったのですが、その後お笑いの世界に入り芸人さんを寄席に派遣する大夫元(たゆうもと)という仕事をしている人物です。寺ギンさんはドラマの中でお坊さんをやめた理由を、「お坊さんは死んだ人に喜んでもらうためにお経を読んでいるが、おれは生きている人に笑って喜んでもらいたいから、お坊さんをやめてこのお笑いの世界に入ったのだ」と言っていました。
 お経を拝読する、法事をお勤めするのは「誰のため?、何のため?」かご一緒に考えていただきたい、とこの印象に残っている場面を最初にご紹介しました。

2.お経とは?
 お経は本来はお釈迦さまが説かれたみ教えのことで、私たちの浄土真宗では、お釈迦さまが残された8万を超えるお経から『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の浄土三部経を正依の経典としていることをご紹介しました。

3.お経はどのようにして伝わった?
 お釈迦さまが2500年前にインドで説かれたみ教え(お経は)始めは口伝で伝えられ、その後文字で記されるようになり、三蔵法師とお呼びする方々のご苦労によって中国にもたらされた典籍は漢文に翻訳され、遠く時間と距離を隔てて現在の私たちに伝わっていただいていることをお伝えしました。

4.『仏説阿弥陀経』
 浄土三部経の中でもご法事に際して拝読されることの多い『仏説阿弥陀経』について、お釈迦さまが説かれたみ教えを学びました。『仏説阿弥陀経』は「無問自説の経」(お弟子さんなどからの問いかけによるのではなく、お釈迦さまが自ら説き起されたお経)と呼ばれ、お釈迦さまがご生涯で説かれたみ教えの集大成として、どうしても後の世に残したいと思われたことが説かれているお経だとされています。

 お釈迦さまは、このお経の中で、お浄土のうるわしさ、すばらしさを説かれ、そこにおられる阿弥陀さまのお救いの力を説かれます。
 お釈迦さまは、このお浄土に往生するには、様々な雑行を捨てて、信心をいただいてお念仏する(名号を執持する)ことだと念仏往生の道を説かれ、次いで、六方(東西南北、下上)の数限りない仏方が、このお釈迦さまが説かれたことは間違いないことだとされ、阿弥陀さまのお救いの力を讃嘆されます。
 お釈迦さまは、念仏者が恵まれる利益(りやく)を説いて、信を勧められ、諸仏はお釈迦さまの功徳を称賛されます。
 お釈迦さまがこのみ教えを説き終わると、お聞きしていた人々は歓喜し、信受し、礼(らい)をなして去って行かれました。

5.お経を読む
 このように、お釈迦さまは、『仏説阿弥陀』により、お浄土のすばらしさを説かれ、お浄土におられる阿弥陀さまが、私をいつも見護っていただき、私が命終わるときには間違いなくお浄土に迎えると誓っていただいていると説かれ、私に信心をいただいてお念仏申すように勧めておられます。

 そうしますと、お経は「亡くなった人に喜んでもらうため、亡くなった方の供養のため、亡くなった方が迷われないため」にお読みするものではないということが分かります。お釈迦さまは、阿弥陀さまが私を救いたいとご苦労をなさってさとりを開かれた所以を説かれ、阿弥陀さまのお救いのお力にお任せするようにと、この私に勧められていることが分かります。

 お経に書かれていることを理解するということは、反面、お釈迦さまが説法されている姿を第三者的に見てしまう恐れがあるということにもなります。お経の中で、お釈迦さまは「舎利弗、舎利弗」と何度も何度も呼びかけられますが、この呼びかけは2500年の時を超えて私に向けて呼びかけられている言葉だと、受け止めなければならないと、お伝えしました。

 引き続き次のテーマによって班別の話し合いを行っていただきました
 ・お経は誰のため?、何のため?:これまで思っていたこと、今回気づいたこと
 ・お経に関わる思い出:祖父母、両親あるいは周りの方で、お経やお勤めについて印象に残っている姿
 ・次の世代に伝える:子どもや孫にお経やお勤めに対する姿、受け止め方をどのように伝えていくか?

 次いで、話し合い結果を報告いただき、まとめをおこないました。
 報告された感想では、やはり「お経は誰のため?何のため?」に関するものが多いように思いました。
 これまで思っていたこととは違うという戸惑いのようなものがあるように感じられました。ご先祖様に感謝しお礼を申しあげるということは変わりませんが、今現在、私が阿弥陀さまやお浄土におられるご先祖様に見護っていただいているということ、そしてこの世に縁が尽きるときにはお浄土に迎えられることは間違いないとされていることを喜び、お礼申し上げるという大切なことを抜かしてはいけないと思います。

 質問で、お経に向かう姿をどのように次の世代に伝えるのか、ということが出されていました。
 これは、非常に難しい問題だと思っています。核家族化が進展している現在ですので、話し合いの報告にもありましたような、祖母や母のお仏壇に向かう日頃の姿からお仏壇を大切にすることを教わるというような伝え方も難しくなっています。それでも、口に出して、こうしなさい、と言われるよりも日常の行動で教えられたことが印象に残っている、という報告もありましたように、私たちがお仏壇に向かう姿、お念仏する姿、お経をお読みする姿を無言ででも示し続けることが大切ではないかと、お話ししました。

 もう一つの質問は、『般若心経』を読んではいけないのですか、というものでした。
 仏教の他の多くの宗派では『般若心経』が読まれているようですが、浄土真宗ではお読みしません。これは浄土真宗では浄土三部経の『仏説大無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』だけで十分であり、『般若心経』を読む必要がないからです。どうかまず三部経をお読みください、短時間で、ということであれば『讃佛偈』や『重誓偈』などもあります、とお答えしました。
 
(図は『昭和新纂 國譯大藏經』に収められている『仏説阿弥陀経』の最初の部分です)

 研修会の当日ご説明したのですが、お釈迦さまが説かれたみ教え(経)と当時のインドの教団の戒律(律)、お経の注釈書(論)を集大成した大蔵経(だいぞうきょう)が中国や韓国で編纂され、日本でも江戸時代に幕府の支援を得て編纂されました。明治以降は出版社が編纂した大蔵経が出版されましたが、それを日本語に訳したものも出版されます。
 
 寺にあります図のものは『昭和新纂 國譯大藏經』といい、1930年から1939年にかけて東方書院というところから刊行されたものです。その経典部の第2巻が「浄土三部経と他七経」に充てられています。
 面白いなと思いましたのは、三部経の各お経について(真宗所用)と付記されたものとそうでないものの両方が収載されていることです。図は、左が(真宗所用)の『仏説阿弥陀経』、右はそうでないものです。どこが違っているのか調べてみたいと思いますが、まず最初に気づきましたのは、冒頭の「如是我聞」の部分が(真宗所用)では「かくのごとくわれきく」とされていますが、一方は「かくのごときをわれききき」となっています。訓読の違いなのですが、なぜ(真宗所用)とそうでないものがあるのか、訓読だけではなく経文にも違いがあるのか、もう少し調べてみたいと思っています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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