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427.『阿弥陀経』を読む(65)

20180427オオヤマレンゲ2   20180427オオヤマレンゲ

「御文」 仏説此経已・舍利弗・及諸比丘・一切世間・天人阿修羅等・聞仏所説・歓喜信受・作礼而去 仏説阿弥陀経
     (ぶっせツしきょうい・しゃりほツ・ぎっしょびく・いっさいせけん・てんにんあしゅらとう・もんぶツしょせツ・かんぎしんじゅ・さらいにこ ぶっせツあみだきょう)

「訓読」 仏この経を説きたまふこと已(おわ)りて、舎利弗およびもろもろの比丘、一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたてまつりて、歓喜(かんぎ)し信受して、礼(らい)をなして去(さ)りにき。

「訳文」 このように仰せになって、釈尊がこの教えを説きおわられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この尊い教えを承って喜びに満ちあふれ、深く信じて心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。

 ご一緒に学んでまいりました、『阿弥陀経』も本日の部分で最後となります。
 前回の段までにはお釈迦さまが説かれたお言葉がそのまま記されていましたが、今回の部分はお釈迦さまの説法を聞かれた方が記された言葉になります。
 この段は、お釈迦さまが教えを説きおわられると、舎利弗さんはじめお聞きしていた方々は尊い教えを喜び、深く心にとどめて礼拝して立ち去られた、と結ばれています。

 今回の部分は、流通分(るずうぶん)と呼ばれている部分に当たります。流通分はお経の最後に置かれて、「教えを伝持流通することを勧める部分」とされます。
 他のお経では、この流通分で、お釈迦さまは経典を付与されて、ご自身の言葉でその教えを後の世に伝えるように勧められたということが記されているのですが、この『阿弥陀経』では、上記のようにお釈迦さまのお言葉もなく、お弟子さん方が歓喜信受して礼拝し立ち去られた、ことだけが記されています。

 他のお経とのこの違いについて、瓜生津師は、善導大師の解釈を紹介されています。
 善導大師は『阿弥陀経』を17段に分けて教えを讃えられておられますが、その第17段(最後の段)は前々回学びました「舍利弗・如我今者・称讃諸仏・・・」から始まる、お釈迦さまと諸仏が互いにそれぞれの不可思議の功徳を讃えられている部分から今回の最後の部分までとされています。お経本でもこの部分には改行が入らずに、一つの段とされています。
 瓜生津師は、この部分も含めた第17段の全体が流通分に当たるとも考えられるとされています。

 師は、さらに、『阿弥陀経』そのものがお釈迦さまの生涯を通じて説かれたみ教えの帰結、集大成であり、このお経の全体によって阿弥陀さまの名号を遠く後世に伝えるように勧められているのだと、されます。『阿弥陀経』は、お釈迦さまがお弟子さんからの要請によって説き始められたのではなく、お釈迦さまご自身で説き起された、このことだけは何としても伝えなければならないと思い定めて説かれたお経です。『阿弥陀経』そのものが、お釈迦さまが生涯を通じて説かれたみ教えの「流通分」に当たる特に大切な「出世本懐(しゅっせほんがい)」のお経だと承けとめたいと思います。

 これまで、ご一緒に『阿弥陀経』について学んできました。
 振り返ってみますと、この「学んで」ということに違和感を感じることに気づきました。確かに、お経の中に説かれていることを知りたい、み教えを知りたいということが「学ぶ」ことの中心になるのですが、その場合、気をつけていないと自分自身が第三者のような立場で、お経を「学んで」いるようなことになってはいないだろうか、ということです。
 2500年前にインドでお釈迦さまが1250人のお弟子さんにお話しされた・・・・ということで、私自身はその様子を後の世に、この日本で、外から見ているような思いになっていないだろうか、ということです。

 「舎利弗よ分かってくれ、舎利弗よ分かってくれ」と何度も呼びかけられ説かれたお釈迦さまの言葉は、2500年前の舎利弗さんにではなく、舎利弗さんを通じてこの私に呼びかけられているのだと、改めて感じます。

 舎利弗さんを始めお釈迦さまの説法をお聞きしたお弟子さんたちは、歓喜信受し礼拝して去られた、と記されています。お釈迦さまの説かれたことをお聞きしてお弟子さんたちは、歓喜(身も心もよろこばせること)し、信受(疑う心なく信じること)され礼拝されました。
 この「礼拝」は、全身を地に投じる五体投地(ごたいとうじ)という最上の礼拝方法だとお聞きしたことがあります。両ひざ、両ひじと額を地面につける礼拝のことなのですが、私たちが歩いている道を五体投地によって進んでいる人に出会ったことがあります。尊崇、感謝の心が全身で表わされている姿として驚きとともに強く印象に残るものでした。
 お釈迦さまのみ教えに対して、五体を投げ出して歓喜信受する心、尊崇感謝する心を2500年前のインドのお弟子さんたちとともに持ちたいと思います。

(写真は、オオヤマレンゲの仲間の花です。2003年6月15日に神戸市「六甲山森林植物園」で。)

 このオオヤマレンゲも引き続きモクレン属の植物です。漢字で書くと「大山蓮華」。奈良県の大峰山に自生していて花がハスの花に似ている所からこの名前になったようです。
 写真の花は、オオバオオヤマレンゲという種で、絶滅が危惧されているオオヤマレンゲに代わって観賞用に苗が栽培されている種だということです。白い花弁と良い香りが印象的な花です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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