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424.『阿弥陀経』を読む(64)

20180416タイサンボク  20180416タイサンボク2

「御文」 舍利弗・当知我於・五濁悪世・行此難事・得阿耨多羅三藐三菩提・為一切世間・説此難信之法・是為甚難・
     (しゃりほツ・とうちがお・ごじょうくあくせ・ぎょうしなんじ・とくあのくたら・さんみゃくさんぼだい・いいっさいせけん・せっしなんしんしほう・ぜいじんなん・)

「訓読」 舎利弗まさに知るべし、われ五濁悪世においてこの難事を行(ぎょう)じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信(なんしん)の法を説く。これを甚難(じんなん)とす」と。

「訳文」 舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。このことこそ、まことに難しいことなのである」

 お釈迦さまは、前回の諸仏がお釈迦さまを讃嘆される言葉を承けられて、反復するように「自分はこの汚れた世で難しい行を成しとげ、信じがたいほどの尊い教えを説いた。これこそまことに難しいことなのだ」と述べられます。

 今回は、前回にも出てきましたが「難信之法」という言葉について考えてみたいと思います。
 訳文では、「この信じがたいほどの尊い教え」とされていますが、これは、「信じられないような尊い教え」あるいは「難解で難しい教え」というように読まれてしまいそうに思われます。
 瓜生津師は、この部分はそうではなく、「自力にとらわれている心をもってしては、たとい億劫をへても信じることができない」難信なのだと記されます。

 お釈迦さまは、煩悩にとらわれた凡夫であっても直ちにお浄土に迎えられると説かれました。
 この教えは、お浄土に迎えられることは難しいことだ、何らかの努力をしなければ往生できないはずだ、と考えていた私たちにとっては、理解しがたい教え、到底信じることができない「不可思議」の教えにみえます。自力の思いに取りつかれている私たちにとって、阿弥陀さまのお力にお任せして往生するという教えはとても信じられないことになります。
 しかし、お釈迦さまは、そのような凡夫だからこそ、阿弥陀さまはそのままの姿で救い摂ってくださるのだと、お示しいただいています。
 そのみ教えは決して難解なものではないのですが、私たちの方の疑いが深くて、私たちの方がそのことを信じ難いことにしてしまっているということになります。

 本日の「是為甚難」(これを甚難とす」)までがお釈迦さまが説かれたお言葉です。
 ちょうど1年前、昨年の4月17日の記事で、お釈迦さまが「従是西方・過十万億仏土」(「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、)と説き始められたことを学びました。それから本日までのお経文はすべてお釈迦さまが語られた言葉です。他のお経では、お弟子さんなどとの問答を含めて説法をされる様子が記されていますが、『阿弥陀経』ではいわば「一方的に」お釈迦さまがお話しをされています。
 まさしく「無問自説」のみ教えです。何としてもこれだけは伝えておきたいというお釈迦さまの思いが伝わっていただいているような思いを持ちます。「舎利弗よ、舎利弗よ」と何度も何度も呼びかけられますが、これは他でもない私たちに「わかってくれよ、わかってくれよ」と呼びかけられるお釈迦さまの呼びかけだったのだと、改めて受け止めたいと思います。

(写真は、タイサンボクの花です。)

 今回のタイサンボクもモクレン属の植物で、こちらはアメリカ大陸原産の植物です。大きな花を咲かせ、庭木としても見かけます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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